このページの本文へ移動
ニュースのカテゴリを選択する

月刊誌「りぶる」特集 2月号より

未来を創る女性のチカラ

写真左から福田かおる衆議院議員(東京都第18区)
向山 淳衆議院議員(比例 北海道ブロック)
森下千里衆議院議員(比例 東北ブロック)

令和6(2024)年10月に行われた、第50回衆議院議員総選挙で初当選した女性国会議員の3人が、政治家を志したきっかけや取り組みたい政策、女性議員を増やすために必要なことなどを語り合いました。

取材日:令和6(2024)年12月4日

初当選の女性国会議員3人
希望あふれる日本の未来を共に創る

伊藤達也国際局長(以下、敬称略) 

―初当選おめでとうございます。初めに『りぶる』読者に自己紹介をお願いします。

福田かおる衆議院議員(以下、敬称略)東京都第18区※1の福田かおるです。食という大切な基盤を強固にして次の世代に引き継ぎたいと、大学卒業後は農林水産省に入省しました。在職中にアメリカ留学や国際機関でインターンを経験した他、内閣官房や観光庁等に出向し、いつしか政治の世界から日本を変えたいと思うようになりました。  『りぶる』読者の皆さんやお子さん、お孫さんたちの世代も、自信を持って働き、にこにこしながらおいしいごはんを食べて「この国に生まれて良かった」と胸を張って言ってもらえるような社会を創ってまいります。

向山淳衆議院議員(以下、敬称略)北海道第8区※2が選挙区の向山淳と申します。私は2歳から中学卒業まで、父親の仕事の都合で海外を転々としてきました。ご縁があって、夫が生まれた北海道の道南に魅せられ、この地の発展に力を尽くすことを決意しました。  今、地方は少子高齢化や人口減少、第1次産業の衰退など、大変に厳しい環境に置かれています。この危機に全力で立ち向かい、生活の向上に努めてまいります。さらに日本の明るい未来に向けて、道南から新しい時代を創っていきますので、よろしくお願いいたします。

コルクット・ギュンゲン閣下

森下千里衆議院議員(以下、敬称略)比例代表東北ブロックの森下千里です。東日本大震災後のボランティア活動等を通じてつながりができた宮城県石巻市に約3年半前に移住し、国会議員を目指して活動を続けてまいりました。
 私は令和元(2019)年まで芸能の仕事をしていました。政治家を志してからは、選挙区の駅や商店街、田畑、漁港などに出向き、たくさんの人たちの声を聞くのがルーティンでした。毎日全力で、力いっぱい宮城を走り回ってきましたが、これからは地域のためだけでなく、日本のために奔走しなければなりません。全国の『りぶる』読者の皆さんに、お力添えをいただけますと大変ありがたいです。
 また、都市で約20年間仕事をした経験があるからこそ、地域格差をものすごく肌で感じています。どこでも安心して暮らせる日本を創るため、真摯に努力してまいります。

揺るぎない信念を力に変え
国政への大きな一歩を踏み出す

長島昭久国際局長代理

―国会議員を志したきっかけを聞かせてください。

福田農林水産省や観光庁で働く中で、政治のチカラで社会が大きく変わることを目の当たりにしてきました。また、未来への思いがあれば、仲間が増え、制度を変え、時には外国政府との合意内容も変え、暮らしを変えるといったことを仕事を通じて体験できました。そんな中で、省庁の枠を超えて日本の課題解決に取り組みたいという思いが強くなりました。
 「私が総理大臣だったら、こうするのにな」と家で話していたら、「そんなに言うならチャレンジしたら」と夫に言われたのが最後の一押しでした。目からウロコでしたが、翌日から本気で活動し始め、道がつながりました。
 目指すは、日本の明るい未来です。かつてインドに行った時、20代のインド人同級生たちに「インドはこれから、すごい国になる。今日より明日が良くなる」と言われ、とても悔しく、日本もそんな勢いを取り戻したいと思ったのを思い出します。

日本はたくさんの魅力がある国なのに「今日より明日が良くなる」と思えている人は多くありません。将来への希望のタネを国会議員になってまきたいと思ったのです。

向山幼少期の海外経験から、日本のために働きたいという思いを持っていました。社会人になる時に、経済を通じて貢献したい、と総合商社に就職、13年間勤務しました。商社では、国内外の発電所や港湾などのインフラ開発、企業再生等のプロジェクトを担当していました。
 カナダに駐在していた時に夫のアメリカ転勤が決まり、それをきっかけに妊活するか、ものすごく悩みました。結局、私は会社を休職して、夫と共にアメリカに行って妊活に専念する道を選択しましたが、妊娠がかなわず非常につらかったです。そして改めて、自分の幸せとは何か、人として何がしたいのかを考えた時に、たどり着いた答えが政治家でした。国政に打って出ることを決め、会社を辞めました。

このまま自分に子供ができなかったとしても、将来にわたって日本の子供たちが豊かに生きることのできる社会を創るために働くのであれば、それは人生をかける意味があると思ったからです。

森下私は芸能の仕事をしながら30歳過ぎに会社を起業しました。広い視野を持つ経営者とお会いする機会が増え、漠然と日本の将来を考えるようになっていました。
 労働人口の減少による経済成長の鈍化、国際競争力の低迷など、経営者の多くが日本経済や社会に憤りを感じていて、これらを払拭する特効薬は政治のチカラだと確信しました。それから意識して自分から政治への興味や関心を積極的に発信していきました。そんな時に、ご縁があって自民党の公募の話をいただいたのです。「日本のために働きたい、何かしたい」と、やる気では誰にも負けない自信がありましたが、いきなり国政はハードルが高いのではないかと躊躇していると、宮城県連の役員の方が「国会議員になりたいんだったら絶対に挑戦するべきだよ」と背中を押してくださり、一歩を踏み出しました。

※1:武蔵野市、小金井市、西東京市
※2:函館市、北斗市、渡島総合振興局管内、檜山振興局管内

インタビューの続きはりぶる本誌でご覧ください

りぶる2月号

月刊誌「りぶる」では、女性ならではの視点で
しなやかな発想で世の中を見つめ
国際情勢から政治、経済、日常の身近な問題まで、
幅広い話題をわかりやすく解説します。

発行日 毎月15日発行
年間購読料 3,800円 (税・送料込)
定価1部 320円 (税込)

バックナンバー