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月刊誌「りぶる」 2月号より

沖縄本土復帰50周年、さらなる振興に向けて

小渕優子 沖縄振興調査会長/西銘恒三郎 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)

令和4(2022)年5月15日、沖縄が本土に復帰して50周年を迎えます。
沖縄振興調査会は令和3(2021)年8月、新たな沖縄振興に向けた提言を取りまとめました。
小渕優子沖縄振興調査会長と、西銘恒三郎内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)が、沖縄の振興や魅力、沖縄の将来像などについて語り合いました。

取材日:令和3(2021)年12月3日
※取材は、感染症対策を十分に実施した上で行っています

5月15日は沖縄本土復帰50周年
平和の大切さを思い、未来につながる日に

小渕優子 沖縄振興調査会

―小渕優子沖縄振興調査会長(以下、調査会長)と沖縄との関わりについて教えてください。

小渕 父(小渕恵三元総理)が生前、沖縄に強い思い入れを持っていて、「第二の故郷」と呼んだほどでした。父の遺志を継ぎ、私も沖縄の発展のために尽くしたいと思っています。

西銘 私の父・順治は、日本返還前の沖縄で那覇市長をしていました。その時に小渕調査会長のお父様が沖縄にいらっしゃった時の話を聞いたことがあります。

小渕 父は、学生時代から何度も沖縄を訪れています。当時は、さまざまな大学に、沖縄の本土復帰を応援したり、沖縄戦の遺骨収集をしたりするグループがあり、父は早稲田大学の沖縄研究会に所属していました。本土と沖縄の行き来にはパスポートが必要で、沖縄には西鹿児島から船で渡り、同じ早稲田出身の先輩の家を訪ね歩いて泊まりながら、遺骨収集をしていました。
 その後、父は26歳で初当選。先輩の議員から「若い人は、まず沖縄を勉強しなさい」と教えられ、再び沖縄を訪れます。さらに昭和54(1979)年には、総理府総務長官・沖縄開発庁長官として初入閣を果たしました。
 父にとって沖縄は、ライフワークだったのだと思います。脈々と思い続けていて、沖縄の発展を心から願っていました。そして総理大臣になった時、念願だったサミットを沖縄県名護市で開催する決断をしました。

西銘恒三郎 内閣府特命担当大臣

西銘 平成11(1999)年4月の訪米直前でしたね。当時、私は県議会議員でした。地元では「小渕総理でなければ、サミットの開催地は沖縄に決まらなかった」と専らの評判でした。

小渕 父は九州・沖縄サミットの開催について「大田中将の電文に応える」と言っていました。
 電文とは、沖縄戦を戦った海軍司令官・大田實中将が昭和20(1945)年6月6日、海軍次官に送った電報のことです。そこには、県民が防衛に駆り出され、老人、子供、女性が砲爆撃の下をさまよいながら貧しい生活を送る様子、若い女性が進んで軍に志願し、看護や炊飯のみならず戦闘への参加を申し出る様子、草木が全て焼け出されて食糧が底を尽きかけていることなどが克明に記されています。戦争の惨状と県民の献身ぶりを訴え、最後は「県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮を」と結ばれています。この1週間後、大田中将は米軍の猛攻に遭い、地下に掘られた壕で自決を遂げました。

 父は九州・沖縄サミットの開催で、大田中将の電文に応えるとともに、苦しい戦争を経験した沖縄から平和を希求する思いを世界に発信したかったのだと思います。
 私は子供の頃、父の沖縄に対する深い思いを知りませんでした。家族で沖縄旅行に行った記憶もありません。唯一覚えているのは、沖縄の歌を歌っていたことです。耳慣れない言葉で突然歌い出したので、私も姉もびっくりしたことを今でも鮮明に覚えています。
 西銘大臣は沖縄出身ですが、昭和47(1972)年5月15日に本土復帰した時は、どのように受け止められましたか。

西銘 私は高校3年生でしたが、世の中が180度ひっくり返る感覚でしたね。それまでお金はアメリカドルを使い、車は右側通行。それが5月15日から日本円にかわり、車は左側を走るようになりました。
 復帰前は、ひんぱんに断水が起こるので、普段からたらいに水をためていました。また、台風が来ると停電は当たり前。学校には冷房設備がなく、暑くて大変でした。「本土に復帰して、特に社会インフラが整備されて良かった」と心から思いました。沖縄選出議員として、全国の皆さまに感謝の気持ちを伝えたいと思います。

―沖縄本土復帰50周年を、どのように捉えていますか。

小渕 沖縄戦では激しい地上戦が繰り広げられ、およそ20万人もの尊い命が失われました。戦後も本土復帰までに長い時間がかかり、県民の皆さまのご苦労は絶えませんでした。
 50周年は、大きな節目。沖縄では、さまざまな記念行事が行われるだろうと思います。しかし、この日は沖縄だけではなく、日本にとっても47都道府県が勢ぞろいした特別な日。ぜひとも日本全体で、沖縄の歩んできた歴史に思いを致すとともに、どういう意味がある日なのかを改めて考え、平和の大切さを思う日にしていきたいと考えています。さらに、今沖縄が抱える課題に全国民が向き合う、未来につながる日にしていければと思います。

西銘 50周年の節目に沖縄担当大臣を拝命したことは光栄ですが、その重責に身が引き締まる思いです。実は、沖縄生まれの沖縄担当大臣は私が初めて。もしかしたら、岸田文雄総理の頭の中に、本土復帰50周年に対する思いがあって、私を任命したのかもしれません。地元選出の強みを生かし、沖縄の皆さまに寄り添って職務を全うしてまいります。

インタビューの続きはりぶる本誌でご覧ください

りぶる2月号

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