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月刊誌「りぶる」特集 2月号より 深谷めぐり 令和3年話題の深谷の魅力を紹介

月刊誌「りぶる」特集 2月号より 深谷めぐり 令和3年話題の深谷の魅力を紹介

令和3年の大河ドラマは、埼玉県深谷市出身の渋沢栄一が主人公。
埼玉県第11区選出の小泉龍司衆議院議員のインタビューとともに、深谷市内にある渋沢栄一ゆかりのスポットを埼玉県連女性局の皆様がご紹介します。

埼玉県深谷市

インタビュー

小泉龍司 衆議院議員(埼玉県第11区選出)
小泉龍司 衆議院議員(埼玉県第11区選出)

美しい自然、祭り、グルメ、郷土の偉人…
多彩な魅力があふれる

深谷市のある埼玉県北部ならびに秩父・本庄の魅力や特徴について、埼玉県第11区選出の小泉龍司衆議院議員にインタビューしました。

取材日:令和2(2020)年12月24日
※感染症対策を十分に実施した上でインタビューを行っています。
マスクは撮影時のみ外しています。

実業家の
渋沢栄一ってどんな人?

令和3(2021)年の大河ドラマは、〝近代日本経済の父〟や〝日本資本主義の父〟などと称される実業家の渋沢栄一が主人公です。
渋沢栄一とは、どのような人物なのか。その功績を紹介します。

渋沢栄一 深谷市所蔵
深谷市所蔵

日本の経済発展に手腕を発揮
福祉、教育、国際親善にも尽力

 渋沢栄一は天保11(1840)年、現在の埼玉県深谷市血洗島の裕福な農家に生まれました。元治元(1864)年、京都で一橋慶喜(後の江戸幕府第15代将軍)に仕官。慶応3(1867)年には、将軍の名代としてパリの万国博覧会に赴く徳川昭武(慶喜の弟)に随行して渡仏します。およそ1年間のヨーロッパ滞在中に、栄一は進んだ社会制度や思想、文化を目の当たりにし、〝チョンマゲ〟を切って洋装に変えます。そして、議会や取引所、銀行、会社、工場、病院などを積極的に見学しました。この視察が、栄一の人生を大きく変え、帰国後に日本初の株式会社ともいわれる「商法会所」を静岡に設立します。

 明治2(1869)年には大隈重信に説得されて大蔵省(現・財務省)に租税正として入省。翌年、多くの改革に取り組む中、官営の富岡製糸場の設置主任として、その計画や調整に奔走します。しかし、財政改革において大久保利通らと意見が合わず、4年で辞職。実業家に転身し、明治6(1873)年には日本初の銀行となる第一国立銀行(現・みずほ銀行)を設立します。ちなみに、英語の「Bank」を「銀行」と翻訳したのは栄一といわれています。その後、抄紙会社(現・王子ホールディングス)、東京株式取引所(現・東京証券取引所)、日本煉瓦製造会社(後に日本煉瓦製造株式会社)など、多種多様な約500社の企業の設立に関わりました。
 栄一は、幼い頃からいとこの尾高惇忠に孔子の『論語』をはじめとする学問を教わりました。生涯を通じての基本理念は、この『論語』の精神(忠恕の心=真心と思いやり)にあり、単なる利益追求ではなく、〝道徳経済合一説〟による日本経済の発展を願っていました。

※道徳と経済は両立して進むべきものとした考え方

 また、困窮者や孤児、老人などの保護施設である養育院(現・東京都健康長寿医療センター)の院長を約50年間務めた他、児童養護施設や知的障害児施設の設立に関与。商法講習所(現・一橋大学)や東京慈恵医院(現・東京慈恵会医科大学附属病院)などの大学、病院の経営にも手腕を発揮し、関わった社会福祉事業は600以上といわれています。
 さらに、昭和6(1931)年に亡くなるまで、国際親善にも貢献。ノーベル平和賞の候補に2度名前が挙がりました。
 このように近代経済黎明期に多大なる影響を与えた栄一は、令和6(2024)年から発行される一万円札の新しい顔にも決まり、注目を集めています。

旧渋沢邸「中の家」

生誕地の血洗島にある旧渋沢邸「中の家」。母屋は、屋根に「煙出し」と呼ばれる天窓が付いた典型的な養蚕農家の形をしている。写真の母屋の他、敷地内には副屋、米や藍玉を貯蔵していた土蔵などがある。

正門

正門。扉は、ケヤキの一枚板が使われている。左端には、文筆家・幸田露伴書の「青淵翁誕生之地」の碑が立つ。青淵は、渋沢栄一の雅号。その由来は、生まれた家の近くにあった「上の淵」と呼ばれる青々とした深い淵といわれている。

渋沢栄一の子孫である渋澤健氏
渋沢栄一の子孫である渋澤健氏

渋澤健氏(渋沢栄一の子孫)からの
コメント

およそ500の会社および600の社会公共事業の設立に関与し、「日本資本主義の父」と呼ばれている渋沢栄一は「論語と算盤」を提唱しました。
道徳と経済が合致すべきという今から100年以上前の思想ですが、アフターコロナで持続可能な経済社会が求められるからこそ、今の時代でも活用すべき行動指針でしょうか。

1916年に出版された講演集である『論語と算盤』に栄一は、人為的な逆境に立たされたときに以下の心構えを持つべきだと示しました。

「自分からこうしたいああしたいと奮励さえすれば、大概はその意のごとくになるものである。
しかるに多くの人は自ら幸福なる運命を招こうとはせず、かえって手前の方からほとんど故意にねじけた人となって逆境を招くようなことをしてしまう。」【大丈夫の試金石】

自分が「できない」多くの理由でネガティブな気持ちの鬱憤で更なる逆境を招くより、上を向いて歩くことで今日よりもよい明日の幸福な運命を拓くことを唱えた渋沢栄一。
この精神を、現在に私たちは蘇らせるべきではないでしょうか。

渋澤健(しぶさわ けん)
シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役、コモンズ投信株式会社取締役会長。複数の外資系金融機関およびヘッジファンドでマーケット業務に携わり、2001年にシブサワ・アンド・カンパニー株式会社を創業し代表取締役に就任。07年にコモンズ株式会社(現コモンズ投信株式会社)を創業、08年に会長に就任。経済同友会幹事、UNDP(国連開発計画)SDG Impact Steering Group委員、東京大学社会連携本部シニアアドバイザー、等。著書に「渋沢栄一100の訓言」、「SDGs投資」、「渋沢栄一の折れない心をつくる33の教え」、「超約版 論語と算盤」、他。

深谷市おすすめスポット

深谷市の歴史や魅力を身近に感じるおすすめスポットを埼玉県連女性局が紹介します。

※感染症対策を十分に実施した上で取材を行っています。マスクは撮影時のみ外しています。
※掲載の価格は、特に表記がない場合、税込みです。

岡野裕子埼玉県連新座支部女性部長(左)、村田紀伊子埼玉県連女性局長(中央)、竹本美恵子埼玉県連女性局副局長(右)
岡野裕子埼玉県連新座支部女性部長(左)、村田埼玉県連女性局長(中央)、竹本美恵子埼玉県連女性局副局長(右)

渋沢栄一ゆかりのスポット

★実業家としての出発点となった生誕地

旧渋沢邸「中の家」

生家は、栄一が慶応3(1867)年にヨーロッパへ渡った後、妹・てい夫妻が継ぎました。火災で焼失後、明治28(1895)年に建て直された母屋には、東京で活躍していた栄一が帰郷した際に寝泊まりした部屋が残されています。

旧渋沢邸「中の家」

渋沢栄一記念館の澁澤武雄館長(右)、ガイドの原島 正さん(右から2人目)と。「栄一の生家は、家業の藍玉(藍の葉を発酵・熟成させた染料の一種)と養蚕で財を成した農家でした。この辺りを開発した渋沢一族の一つで、地理的に真ん中にあることから『中の家』と呼ばれています」と澁澤館長。昭和60(1985)年に「学校法人青淵塾渋沢国際学園」が設立され、母屋は外国人留学生の学び舎としても使用された。

旧渋沢邸「中の家」

渋沢家は単なる農家ではなく、苗字帯刀を許された富農だった。中庭にはヨーロッパに渡る前の、和服にチョンマゲ姿の27歳頃の栄一像が立つ

旧渋沢邸「中の家」

「栄一は、80歳で子爵を授かりました。身長は約152cmで、“背は五尺、位は子爵”といわれています」と原島さん

旧渋沢邸「中の家」
旧渋沢邸「中の家」

1階の一番奥の座敷は、栄一が帰ってきた時に使っていた部屋とされる。床の間の床柱は硬く丈夫な鉄刀木が使用されている(写真左)。スギの木の一枚板で作られた「帯戸」(写真右)

竹本美恵子埼玉県連女性局副局長
母屋の内部は縁側から見学することができます。
ガイドの方が楽しく、詳しく解説してくださり、とても良い勉強になりました。

DATA
深谷市血洗島247-1
048-587-1100(渋沢栄一記念館)
料:無料、時:9時~17時(入館は16時30分まで)、
休:年末年始 (12月29日~1月3日)

渋沢栄一からくり時計
(JR深谷駅北口)

渋沢栄一が設立した第一国立銀行をイメージしてつくられた時計塔。通常は、深谷市のイメージキャラクター(ゆるキャラ)「ふっかちゃん」(1)だが、毎時0分(7時~20時および23時)になると「青い目の人形」のメロディーとともに、下からすっと栄一が現れて(2)入れ替わる。日米の友好を願って、右手に「市松人形」、左手に「青い目の人形」を持っている(3)

深谷駅のからくり時計(JR深谷駅北口)
深谷駅のからくり時計(JR深谷駅北口)
深谷駅のからくり時計(JR深谷駅北口)

★郷土の偉人を知る、見る、聞く!

渋沢栄一記念館

平成7(1995)年11月11日、渋沢栄一の祥月命日に開館。1階の資料室には、写真やパネル、生前に書いた書など、栄一の生い立ちや功績を伝えるさまざまな資料を展示しています。2階の講義室で1日9回行われている、渋沢栄一アンドロイドによる講義も必見。アンドロイドは、顔や手の質感はもちろん、しみやしわなどの細部にまでこだわって再現しています。
館内には、83歳で講演をした時の肉声を聞けるコーナーもあります。

渋沢栄一記念館
渋沢栄一記念館

大正12(1923)年に栄一が講演した「道徳経済合一説」の声が聞ける

渋沢栄一記念館

令和2(2020)年7月から公開された渋沢栄一アンドロイド

村田紀伊子埼玉県連女性局長
顔や手の動き、まばたきなどにも注目を。アンドロイドと司会者とのやりとりも楽しいですよ。講義の後は、アンドロイドと記念撮影もできるので、ぜひ!
渋沢栄一記念館
渋沢栄一記念館

記念館の北側には、高さ約5mの渋沢栄一像が立つ

渋沢栄一記念館

「吉田松陰の志を継ぐ維新志士たちを数多く輩出した松下村塾のように、かつては深谷にもたくさんの私塾がありました」と澁澤館長

渋沢栄一記念館

栄一は6歳から『論語』を学んだ。写真は大正15(1926)年、86歳の時に書写したもの。記念館では、ボランティアと共催して『論語』教室を開催している

渋沢栄一記念館

栄一の青春時代や経済人、社会福祉・国際親善、高等教育などをテーマに、約150点の資料が展示されている

渋沢栄一記念館

「栄一は実直なお父さん、慈悲深いお母さんの元で育てられ、いとこで後に富岡製糸場初代場長となる尾高惇忠に学問を学びました。栄一がたくさんの功績を残せたのは、徳川慶喜、大隈重信、伊藤博文など、良い人との出会いがあったから。そして、何よりも強運の持ち主でした」と塚田 允解説員

竹本美恵子埼玉県連女性局副局長
記念館を訪れ、大河ドラマを見る楽しみが増えました。地元の埼玉が舞台ですから、たくさんのことをもっと知りたいなと思います。
渋沢栄一記念館

敷地内でマタニティマークを発見。「マタニティマークは私たち女性局と、有村治子参議院議員が一緒になって考えました。鉄道会社にシールを貼ってもらえるようにお願いするなど、普及啓発に頑張りました」と村田埼玉県連女性局長

DATA
深谷市下手計1204
048-587-1100
料:無料(2日前までに要予約)、時:9時~17時、
休:年末年始(12月29日~1月3日)、臨時休館あり

★渋沢栄一ゆかりの建物を移築復元

誠之堂・清風亭

誠之堂(重要文化財)は、大正5(1916)年、渋沢栄一の喜寿(77歳)を記念して、栄一が初代頭取を務めた第一銀行(前・第一国立銀行、現・みずほ銀行)の行員たちが出資して建てたレンガ造りの建物。清風亭(埼玉県有形文化財)は、その10年後に、2代目頭取・佐々木勇之助の古希(70歳)を祝って建築された鉄筋コンクリート造です。この二つの建物は、もともと東京都世田谷区にありましたが、約2年の解体・移築復元工事を経て、平成11(1999)年11月から一般公開されています。

誠之堂・清風亭

誠之堂

外観はイギリスの農家風でありながら、レンガは縦横交互に積んでいく“フランス積み”。よく見ると、縦に積んだレンガはやや飛び出していて、色も白っぽかったり、黒っぽかったり。「あえて色むらのあるレンガを使うことで、茶一色では出せない趣のある建物にしています」と田島さん

誠之堂・清風亭

「実は、誠之堂と清風亭は平成9(1997)年に取り壊しの危機に。そのことを知った当時の深谷市長は、翌日に現地調査を行い、移築復元することを英断したそうです。また、移築の際には、各所から『上敷免製』の刻印のあるレンガが発見され、深谷産であることが判明しました」とガイドの田島岳洋さん

誠之堂・清風亭

目を引くステンドグラス(写真上)

誠之堂・清風亭

渋沢栄一の肖像レリーフ(写真上)

岡野裕子埼玉県連新座支部女性部長
栄一さんにゆかりのある数少ない建物です。移築を英断した、当時の深谷市長の行動力はすごい!
誠之堂・清風亭

外壁には3種類の色合いのレンガを使って、漢字で「喜寿」と書いてある

誠之堂・清風亭
誠之堂・清風亭

風見鶏の方位盤は、アルファベットではなく、漢字で「東西南北」と記されてある

清風亭

清風亭スパニッシュ瓦やステンドグラスを使用したスペイン風のデザイン。「歌手の安室奈美恵さんのミュージックビデオに登場したこともあり、最近は老若男女を問わず、来場者が増えています」と田島さん

誠之堂・清風亭

瀟洒なつくりの内観。大正12(1923)年の関東大震災を機に日本の建築は、レンガ造りから鉄筋コンクリート造が主流に。清風亭は、その初期の建物としても貴重

竹本美恵子埼玉県連女性局副局長
大正時代にタイムスリップ!
どちらも、すてきな雰囲気で、うっとりします。

DATA
深谷市起会110-1(大寄公民館敷地内)
048-577-4501(深谷市教育委員会文化振興課)
料:無料、時:9時~17時(入館は16時30分まで)、
休:年末年始(12月29日~1月3日)

★レンガの大量生産を実現し、日本の近代化を支えた

日本煉瓦製造株式会社
旧煉瓦製造施設

明治20年(1887)年、渋沢栄一らが深谷市に設立した日本初の機械式レンガ製造施設です。レンガ工場(上敷免工場)は翌年から操業を開始し、最盛期には6基の窯が稼働。製造されたレンガは東京駅や旧東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)、日本銀行本店など、さまざまな西洋建築に使われました。日本煉瓦製造株式会社は平成18(2006)年に約120年の歴史に幕を降ろしますが、現存する「旧事務所(現・日本煉瓦史料館)」「ホフマン輪窯6号窯」「旧変電室」「備前渠鉄橋」の旧煉瓦製造施設が重要文化財に指定されています。

日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設

旧事務所

(現・日本煉瓦史料館)
明治21(1888)年、レンガ工場の建設や製造指導に当たったドイツ人技師チーゼの居宅兼事務所として建てられた。「栄一が実家近くの上敷免を推薦したのは、古くから瓦生産が盛んで良質な粘土が採れたこと、そして舟運が発達していたからです」と深谷市教育委員会文化振興課主任の幾島 審さん(右)

日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設

実際に使われていたレンガの焼きごて

日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設

「レンガは、時代によって異なる文字の刻印が押されました。明治は工場の名前の『上敷免製』、大正になると日本煉瓦製造株式会社を略して『日煉』、昭和の戦後になると『日本』でした」と幾島さん

岡野裕子埼玉県連新座支部女性部長
リニューアルした東京駅舎の見学ツアーに参加したことがあり、深谷のレンガに興味を持っていました。東京にあった万世橋駅のレンガも深谷産の可能性が高いと聞き、やはり日本の近代化に貢献しているなと感心しました。
日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設

旧事務所内にある日本煉瓦史料館。栄一直筆の書簡、会社設立からの歴史が分かる資料や写真、模型、実際に焼かれたレンガなどを展示

日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設

明治40年頃の風景を再現したジオラマ。「原料となる土は付近の農家の田んぼから入手しました。工場は、土を無償で提供してもらう代わりに、農家が水路を整備する費用を負担しました」と幾島さん

日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設

旧変電室

明治39(1906)年、市内で初めて電灯線を架設し、変電室を設置した。内部の変電設備はもうないが、建物は建造時のまま残っている

日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設

ドイツ人のホフマンが考案した「ホフマン輪窯6号窯」の模型

日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設

備前渠鉄橋

舟に代わって、レンガを大量に輸送するため明治28(1895)年、深谷駅から工場までの約4kmの区間に日本初の専用線を敷設。その際、備前渠に架けられた鉄橋で、橋台には工場で焼かれたレンガが使用されている

日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設

ホフマン輪窯6号窯

(現在は保存修理中)
明治40(1907)年から約60年間稼働した。レンガ造りの窯は、長さ56.5m、幅20m、高さ3.3m。18の部屋に仕切られ、部屋ごとに焼いていく。1部屋に約2万個のレンガを積むことができ、生産能力は月産65万個
写真提供:深谷市教育委員会 文化振興課

村田紀伊子埼玉県連女性局長
実は最近、私の妹の家で栄一さんからの手紙が発見されたんです。達筆でまだ解読できていないそうですが、ご縁を感じています。

DATA
深谷市上敷免28-10
048-577-4501(深谷市教育委員会文化振興課)
料:無料、時:9時~16時(入館は15時30分まで)
休:月曜~金曜(年末年始を除く土・日曜のみ開館)

道の駅

★深谷ねぎをはじめ、地元の特産品が充実

道の駅おかべ

新鮮な採れたて野菜が並ぶ「農産物直売センター」。イチオシは、生産者が手間を惜しまず、丹精込めて栽培した“安心・安全”な深谷ねぎ。冬は、ヤマトイモ、ハクサイ、ダイコンなどもおすすめです。併設の「ふるさと物産センター」は、漬物や蔵元直送の地酒、渋沢栄一をモチーフにした銘菓などの品ぞろえが豊富です。

道の駅おかべ
道の駅おかべ

深谷ねぎは、品種によってやわらかさが異なるので、食べ比べもおすすめ

農産物直売
センター

登録生産者は70人以上。毎朝、採れたての野菜がズラリ

道の駅おかべ

贈答用の深谷ねぎは、5kg3,564円(送料込)から

道の駅おかべ

深谷市はヤマトイモの生産も盛ん。箸でつかめるほど強い粘りが特徴

岡野裕子埼玉県連新座支部女性部長
全国ブランドの深谷ねぎは、お鍋はもちろん、焼いて食べるのもおすすめ。焦げ目の付いた皮をむくと、とろりとした食感と甘みが口いっぱいに広がりますよ。
道の駅おかべ

埼玉県北部を走る国道17号深谷バイパス沿いにあり、アクセスの良さも人気の秘密

ふるさと物産センター

深谷は漬物の生産が関東一といわれ、売り場では約200種類の漬物を購入できる

市内酒蔵3社の直送地酒なども

深谷は漬物の生産が関東一といわれ、売り場では約200種類の漬物を購入できる

道の駅おかべ

市内酒蔵3社の直送地酒なども

道の駅おかべ

DATA
深谷市岡688-1
048-585-5001
農産物直売センター:8時30分~19時
ふるさと物産センター:7時~19時、休:無休

★ふっかちゃんミュージアムを併設

道の駅はなぞの

平成29(2017)年5月にグランドリニューアルオープン。1階には、地元の人たちと共同開発した商品や特産品が人気の「ふかやセレクト」、国道140号沿い(秩父、長瀞エリア)の魅力ある商品を集めた「R140ショップ」があります。
2階には、深谷市のゆるキャラ「ふっかちゃん」のミュージアムがあり、ぬいぐるみや缶バッジなど、ここでしか買えない限定グッズも豊富です。

道の駅はなぞの

外観もリニューアルしておしゃれに。
関越自動車道の花園インターからも近い

道の駅はなぞの

ふかやセレクト

深谷ねぎなどを使った常時130~150種類の調味料や地元の菓子などが並ぶ

道の駅はなぞの

写真左から、香ばしく焼いたネギとみそを合わせた「深谷焼ねぎ秩父味噌」(540円)、何にかけてもおいしい「深谷ねぎ万能だれ」(540円)、シャキシャキ食感がくせになる「ねぎドレッシング」(690円)、チャーハンやパスタにも相性抜群の「ねぎバター醤油」(590円)

道の駅はなぞの

秩父のフルーツファクトリーでつくられた、果汁がたっぷり入った「フルーツわたあめ」(648円)

道の駅はなぞの

R140ショップ

深谷・秩父の漬物、地酒・ワインコーナーも充実

ふっかちゃんミュージアム

ふっかちゃんグッズ&限定商品の取り扱いは、約300種類!

道の駅はなぞの
道の駅はなぞの

「ハートハグぬいぐるみ」(2,980円)

道の駅はなぞの

「ミュージアム限定ぬいぐるみ」(2,800円)

道の駅はなぞの

「ふっかちゃんマスク」(770円)

道の駅はなぞの

「ミュージアム限定ふっかちゃん缶バッジ」(1個250円)

道の駅はなぞの

ふっかちゃんグッズが取れるまで、
できるクレーンゲーム

DATA
深谷市小前田458-1
048-584-5225
時:8時~19時(ふっかちゃんミュージアムは10時~18時)、無休

りぶる2月号

月刊誌「りぶる」では、女性ならではの視点で
しなやかな発想で世の中を見つめ
国際情勢から政治、経済、日常の身近な問題まで、
幅広い話題をわかりやすく解説します。

発行日 毎月15日発行
年間購読料 3,800円 (税・送料込)
定価1部 320円 (税込)

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