お知らせ「自由民主」先出し女性活躍

有識者寄稿 強い女性リーダーの実像と共通点
マーガレット・サッチャーと高市早苗:二人の女性首相に寄せて 池本大輔明治学院大学教授

青を基調としたスーツやパールのネックレスを着用するなど、
共通点の多い高市早苗総理(左)とマーガレット・サッチャー英元首相

高市早苗総理が目標とする政治家がサッチャー元英国首相。1979年の総選挙に勝利し、先進7カ国(G7)で最初の女性リーダーとなったサッチャー元首相は国政選挙に3連勝し、英国憲政史上最長の11年半にわたり首相を務めた。「鉄の女」と称されたサッチャー元首相の強いリーダーシップと、冷戦を終結に導いた強い信念や議会での力強い討論は高市総裁と共通する点も多く、高市総理が「目標」とするのもうなずける。サッチャー元首相に関する著作があり、英国の政治を研究している明治学院大の池本大輔教授による高市総理とサッチャー元首相に関する機関紙「自由民主」新年号の寄稿を掲載する。

米ソ東西冷戦終結に一役買った「鉄の女」

池本大輔 明治学院大学教授

2025年10月は英国初の女性首相マーガレット・サッチャーの生誕百年にあたる。奇しくも日本では、同じ月に自民党の高市早苗総理が女性として憲政史上初めて首相に就任した。高市総理はサッチャーに長年憧れてきたというから、巡り合わせというのは面白いものである。

筆者は生誕百年にあわせてサッチャーの評伝を執筆した縁で、新年早々『自由民主』に寄稿する栄誉に浴した。評伝を書きあげて改めて感じたのは、政治家の評価の難しさである。サッチャーは英国現代史上最長の11年間にわたって首相を務め、東西冷戦の終結やグローバル化の進展に重要な役割を果たした。英国のみならず、世界に大きな足跡を残した政治家である。しかしその実像は、世間が抱く彼女のイメージとは必ずしも合致していない。
周知のように、サッチャーは「鉄の女」として知られた政治家である。まだ野党党首であった頃、共産主義体制のソ連に対する警戒を呼び掛ける演説を繰り返したことで、ソ連軍の機関紙からこのあだ名を頂戴することになった。本来は悪口であったわけだが、サッチャーはこれを自ら名乗ることにした。ソ連が警戒して恐れる程の政治家であれば、国を託しても安心というわけである。

しかし首相になったサッチャーは、東西両陣営の関係改善・平和共存のため尽力する。1984年には、ソ連の最高指導者に就任する直前のゴルバチョフをいち早くイギリスに招待した。サッチャーはゴルバチョフを「一緒に仕事のできる男」と評し、盟友のレーガン米大統領にも直接会談するよう促した。「鉄の女」サッチャーは、実際には米ソ超大国が東西冷戦終結への第一歩を歩む上で、重要な役割を果たしたのである。
首相就任時の英国は、インフレや労働争議に喘ぎ、「英国病」などと揶揄される有様であった。サッチャー政権は、新自由主義的な荒療治によって英国経済を立て直そうとしたことで知られる。とりわけ国営企業の民営化や金融の規制緩和(金融ビッグバン)は、政権の代名詞となった。改革の結果、ロンドンのシティは国際的な金融センターとしての地位を確立し、グローバル経済の中で繁栄を謳歌した。反面、それまで赤字を政府の補助金で埋め合わせてきた製造業は、支援を打ち切られて衰退した。
ところが当時の資料を精査してみると、サッチャー自身は金融自由化にはほとんど関心がなく、むしろ製造業の立て直しを重視していた節がある。当時は、日本経済が絶頂を迎えていた時代である。サッチャーは来日の度に、忙しいスケジュールの合間を縫って各地の工場を視察し、良好な労使関係を維持する秘訣を日本企業に求めたが、功を奏さなかった。英国経済再生には成功したが、それはサッチャーが望んだ形ではなかったのである。

日本再生の鍵は硬軟織り交ぜた外交と「自己変革の力」

サッチャーについてさらに知りたい方は是非拙著を読んで頂くとして、・・・

「りぶる」1991年9月号「Mrs.サッチャーのすべて」

「りぶる」1991年10月号「サッチャー前首相の軌跡」

「りぶる」1991年11月号「世界を駆けるサッチャーの想い」

こちらの記事全文は「自由民主」インターネット版に掲載されています。
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