奈良県橿原市や明日香村、桜井市にまたがる「飛鳥・藤原の宮都」。世界遺産への登録を目指し政府は令和7年、国連教育科学文化機関(ユネスコ)へ推薦書を提出しました。令和8年の夏に韓国・釜山で開催予定の世界遺産委員会で審議・決定されます。本資産は中央集権体制が誕生・成立した過程を2つの連続する時代の宮都の変遷から示すことができる唯一無二の資産です。世界遺産登録が実現するよう引き続き、政府与党、関係自治体一体で取り組んでいきます。
「#飛鳥・藤原を世界遺産に」詳細やアクセスガイドはこちらから

飛鳥宮跡から藤原宮跡(出典:世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会HP)
日本の始まりを世界に伝える
「飛鳥・藤原」は当時の中国・朝鮮半島諸国と日本との間で行われた政治的・文化的交流の所産であり、渡来人の積極的受容による外来の文化の導入と日本固有の伝統との融合を通じて独自の開花を遂げました。
「飛鳥・藤原」の資産は、奈良盆地の南部に位置する丘陵に囲まれた飛鳥の小盆地と、その北西に接する藤原の平野部に展開する2つの宮都からなります。
天皇が居住する宮殿に政治権力を集中し、周囲に統治機能をもつ官衙(官庁・役所のこと)群を順次追加した小盆地内の「飛鳥の宮都」。そして大和三山に囲まれた平野部を選び、大極殿・朝堂院・内裏・官衙群が1つの宮殿内に統治機構を集約された「藤原の宮都」です。
これら2つの宮都の変遷が、日本列島に中国の律令制度を模範とする中央集権体制が初めて誕生したことを物語っています。
これらは、8世紀の平城京(奈良)、9世紀以降の平安京(京都)へと続く日本の宮都造営の出発点ともなりました。
飛鳥 「日本」を築いた時代
592年、推古天皇が飛鳥の豊浦宮で即位しました。その後、都が飛鳥・藤原から平城京に遷る710年までの約120年間が飛鳥時代と呼ばれています。この時代には、遣隋使・遣唐使の派遣や憲法十七条の制定、乙巳の変、大化の改新、壬申の乱等政治改革と政変を繰り返しながら「日本」という国が形作られていきました。
「飛鳥」では宮殿の周囲に重要な施設がつくられ、天皇や氏族による寺院の建立が相次ぎ、それまで権力の象徴であった前方後円墳が終焉する等7世紀後半から用いられたとされる「日本」の基礎が形作られました。

飛鳥宮跡(出展:世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会HP)

石舞台古墳(出展:世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会HP)