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落選糧に再び立ち上がる
和歌山1区 かど博文(ひろふみ)さん

落選糧に再び立ち上がる 和歌山1区 かど博文(ひろふみ)さん

4月23日に投開票される衆院和歌山1区(和歌山市)の補欠選挙へ、わが党公認で立候補する前職のかど博文(ひろふみ)さん。前回の衆院総選挙で落選して以降も、ひたむきに地域の声に耳を傾け続けてきたかどさんは、背水の陣の覚悟で選挙戦へ挑みます。

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ふるさとのため、徹底した現場主義で

かどさんは、バブル期真っ只中に和歌山大学で経済や経営を学びました。卒業後は観光事業等を手掛ける地元の松下興産(株)に入社し社会人としての一歩を踏み出しました。
そこでかどさんは「和歌山の発展に貢献しよう」という事業所に掲げられていた社是に驚いたといいます。松下興産の創業者で、地元和歌山出身の実業家、松下幸之助の考えを受け継いだものでした。「民間会社は自社の利益を最大限追い求めるものだとの考えが大きく変わった」と門さんは振り返ります。
「いくらお金を儲けるかではなく、自分たちの仕事を通じて、地域、ふるさとの発展にいかに絶えず貢献するか」―。かどさんは、社会人として働く上での大きな指針を見出し、今日に至るまでの活動の源になっている経験だと熱く語ります。
そんな会社で働く中、かどさんが「骨身に染みる程叩き込まれた」というのが「3現主義」でした。「3現」とは「現場・現物・現実」の3つのことです。「机上の空論で物事を進めるのではなく、必ずその答え、知恵は現場にあるということを20数年間の会社員生活でずっと実践してきた」とかどさんは語ります。
そのことは、民間での経験を政治の世界で発揮したいとの思いで挑戦した平成24年の衆院総選挙で初当選して以降、国会議員としての活動でも、1ミリもぶれることはありませんでした。
記憶に新しいのは令和3年10月、和歌山市内を流れる紀の川に架かる水道橋が崩落し、市内約6万世帯が断水となった事故です。復旧作業が始まるや、かどさんはいち早く現場に足を運びました。作業員や市職員らから聞き取った情報、要望等を関係省庁へ伝えるため、連日和歌山と東京を往復。経験ある与党の国会議員だからこそできる対応に現場重視で尽力しました。結果、早期の仮復旧を実現するとともに、復旧予算等の支援を速やかに国から取り付け、本復旧への道筋をつけました。かどさんが落選した第49回衆院総選挙の同月、直前の出来事でした。

「落選後に得たものを生かすチャンス」

落選で悔しさをかみしめるかどさんでしたが、「ふるさと和歌山のため、自分のできることを精一杯、ひたむきにやろう」と改めて決心しました。
落選後は早速、地元を隅々まで回り、誰よりも和歌山の現状に詳しくなろうと汗をかきました。毎朝、街角に立ち、行きかう人々との交流も重ねました。時には対話集会を開き、地域の方が抱えるさまざまな悩みに率直に耳を傾けました。
その中でかどさんは、多くの叱咤激励をもらいました。「自身が至らなかった点を正面からたくさんぶつけていただいた」とかどさんは語ります。併せて、かどさんへ期待を寄せる声や勇気づけられる言葉も多くもらったといいます。こうして、原点に返り積極的に活動する日々を送りました。
落選から約1年半、衆院和歌山1区の補欠選挙が実施されるに当たり、かどさんはわが党の公認候補予定者として選ばれました。
「落選から今まで、自分が得てきたものを生かせる絶好のチャンス」とすぐに確信しました。そして「もう後がない。絶対に負けられない」と腹をくくりました。
かどさんは「落選したからこそいい政治家になった、という評価をいただけるよう全力で戦い、政治家の立場から再び、ふるさと和歌山、そして日本のために仕事をしたい」と闘志を燃やしています。

こちらの記事全文は「自由民主」インターネット版に掲載されています。
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