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記者会見

谷垣禎一幹事長記者会見(役員連絡会後)

平成27年9月18日(金) 10:30~10:46
於:院内平河クラブ会見場

冒頭発言

谷垣 禎一幹事長

本日の役員連絡会ですが、高村副総裁からのご挨拶で、参議院の皆さん大変お疲れ様でした。鴻池委員長は、野党7与党3という構えで質疑等々の規定を守りつつ最後はきちんと決めていただいた。まだ詰めが残っているので衆参ともしっかりやっていきたいということでした。
私(谷垣幹事長)からは、参議院において平和安全法制の審議に大変ご尽力いただいている。ここまで丁寧に審議を進めて無事に委員会でも可決することができた。引き続き問責決議案の処理等々がありますが、本会議できちんと仕上げられるようによろしくお願いしたい。また、衆議院においては内閣不信任案の提出が予想されるが、一致結束して否決していこう。本日でしっかり仕上げられるように緊張感を持ってやっていきましょうというようなことを申し上げました。
それから、先般の総裁選挙で安倍総裁が無投票再選ということになったわけでありますが、総裁選挙公選規程第25条により、総裁選挙の結果は党大会に報告しなければいけないということになっております。ついては、「党大会に代わる両院議員総会」を、24日(木)17時より開催するのでよろしくお願いするということを申し上げました。 吉田参議院国対委員長からは、平和安全法制は昨日、平和安全特別委員会で可決した。総審査時間は100時間8分だった。本日何としても法案を上げるようにしていきたいということでした。
溝手参議院議員会長からは、最終局面なのでしっかり対応したいというご発言でした。
伊達参議院幹事長からは、平和安全法制はやっと9合目まで来た。最後までしっかり頑張っていきたいということでした。
佐藤国対委員長、林議運委員長からは、内閣不信任決議案が提出されたら速やかに処理していきたいということでした。
茂木選対委員長からは、24日(木)に選挙対策本部を開いて、参議院選挙の2次公認と合区対象県の調整結果について報告・決定したいというご報告がありました。
稲田政務調査会長からは、緊迫した状況だが成立に向けてしっかりやっていきたいというご発言がありました。
二階総務会長からは、本日は総務会の定例日ですが、参議院の議長問責とも重なるので午前中はやらない。午後もまだ未定なので、それを見ながらということになるが、おそらくないだろうという話で、国会状況を見て判断していくというお話でした。
馳広報本部長からは、平和安全法制の広報資料を作ったというご報告がありました。

以上です。

質疑応答

共同通信の比嘉です。役員連絡会で何人かの方が「本日、しっかりやっていきたい」ということをおっしゃっていたということですが、本日中の成立を目指すということでしょうか。
そうですね。それは基本方針で、とにかくそのために頑張ろうということです。
共同通信の比嘉です。昨日の委員会の採決の様子をご覧になって、双方かなりヒートアップした様子がテレビで何度も映し出されました。幹事長はご覧になっていかがですか。
今までいわゆる強行採決というものがありましたが、国会は言論の府ですよね。だから、強行採決というのも、今まで乱闘国会というのも、長い歴史のなかでなかったわけではないのですが、基本的に物理的な力をそこで使っていくことはやはり控えようということだと思うのです。つまり、これは我々も野党のとき、いろいろなことがありましたが、どういうことに反対しているのか、それぞれの政治勢力がどういう考え方を持っているのかというのを強く主張する場としていわゆる強行採決などああいう舞台があるわけですね。そこで物理的な、フィジカルな力を使うということになると、言論の府としては、私はいかがかなと思うのですね。昨日を見ておりますと、やや、その辺りが、今まで私が国会議員になってからのいわゆる強行採決というもののなかでは一番ラフな方でした。その辺は、私はいささか問題ありと思います。
東京新聞の宮尾です。昨日の委員会の速記録を見ると、速記が止まった状態で採決が行われて、採決が全然記録されていないのですが、これについてどう思いますか。
強行採決で野党が開発した手法として、聴取不能ということを作るために、まずマイクを奪い取る、発言ができないようにメモを奪い取るなどという戦術がいわゆる強行採決の基本的手法として野党が練りに練ってきたものなのですね。それに対してどうブロックしていくかというのは与党のものなのですね。そういうことがいいかどうかは別です。この問題は、野党が強行採決に臨む基本的手法として開発したものがそのような結果を生んでいると思います。これは議会政治の運び方のなかで、一つの問題点だと私は思っています。ですから、いわゆる強行採決のときに、聴取不能というような形を作り出すことを目的として行動するというのは、よくよく皆さん方の筆誅というのも加えていただく必要が、これは皆さんに強要するわけではありませんが、少し強行採決というものがそういう技術的な検討によって、支えられているというのは変ですが、あまり褒められたことではないと私は思います。
TBSの加納です。国民の法案に対する理解について、各社の世論調査でも、まだ「成立をなぜ急ぐのか」という声、また「国民の理解が深まっていない」というような見方をする人が多数いるなかで、デモもありますが、このような現状をどのようにお感じでしょうか。
度々申し上げてきましたが、いろいろな政治的な今までの対決のなかで、その政治的対決の要素が何になっているかというのはいろいろなことがあると思うのです。経済的な利害が主として対立になっている場合は、割と技術的な詰めというといけませんが、利害得失が割合、国会論戦のなかで明らかになってくる、つまりそういう意味での論議が深まる局面が多いように私は思います。ところが、イデオロギー的対立を含んだものになりますと、国会で論戦をしてもそれぞれの論点が技術的に分析されて浮かび上がってくるという姿に必ずしもならない場合が残念ながら多い。安全保障はそういう、つまり戦後日本の国会論戦のなかではそういうイデオロギー的な対立が、これはちょっと言い過ぎかもしれませんが、時によっては過度に強調される代表的な例が安全保障論争だと思います。したがって、中身の説明・説得がある意味では難しいし、国会の論戦としても問題点が積み重なってこないという構造を取りますので、ある意味で言えば長い期間をかけてその主張の正当性、あるいは必要だという議論にせよ、これは弊害があって一利なしという議論もあるでしょう。そういうものの正当性を国民に向かって説明していくということが必要な領域の一つだろうと私は思います。それを全部国会でやっていますと、この種の案件は、言葉がいいかどうか分かりませんが、百年河清を俟つということにもなりかねない領域だと私は思っているのです。ですから、やはりこれから長い期間をかけて国民に我々の考えていることをご理解いただくという姿勢を失ってはいけないと思います。 それからもう一つ申し上げますと、しばしばこのイデオロギーに基づく安全保障論争というのが終わると、野党の亀裂を生むということが今までしばしばございました。つまり、国会で議論しているときのある意味での論点の盛り上げ方というものが少し、しばしば無理がある場合が多かったということではないかと思います。これはかなり自民党的にバイアスのかかった見解だと思っていただいても結構なのですが、私は過去の安全保障論争はそういう結果を生んできたと見ております。
朝日新聞の笹川です。昨日、委員会採決の後で鴻池委員長が記者団に対して「政府答弁に不備の答弁が所々あった」ということをおっしゃっています。委員会審議が終わったということで、審議を通して幹事長からご覧になって政府の不備な答弁というのはお感じになられましたか。
私は、根が法律家出身ですので、法律を技術的に説明するという視点が強すぎるのかもしれません。私は、政府の答弁が必ずしも、そういう意味で間違っているとか答弁を訂正したとかいう議論がしばしば行われますが、基本は一貫していたと私は思っております。でもこれはご批判があるかもしれません。私は物事を法律的にとらえて説明するというところで一番最初の訓練を受けたものですから、一般の方がお取りになるのと同じかどうか分かりませんが、私自身はそのように見ておりますので、若干、委員長と見方は違うかもしれません。むしろ、私の捉え方は、こういうイデオロギー的論争はなかなか、要するに例えば100時間やったとか200時間やったとか何国会かけたからといって、なかなか解けるものではないのですね。そのときは、議論の違いとか事実関係に即してどう違うかなどということを浮かび上がらせていくというよりも、どちらかと言えばイデオロギー的な問題を論点の対立を浮かび上がらせるのに、そういうことを目指した議論がどうしても増えるものですから、鴻池委員長がおっしゃっていることのなかで私が共感するのは「立派な方が街頭で反対の演説などをされている。そういう方々によく理解していただけるようにこれからも努力しなければいけない」という趣旨のことをおっしゃっていると思うのです。私は、それは非常に共感するところでありまして、要するに全体の雰囲気が、これは国会の議論も含め、あるいは皆さんの紙面や報道の作り方も含めて、どうしてもイデオロギー的な対立を強調することになってしまう。これは私の反省でもありメディアの皆さんにもお考えいただきたいのですが、イデオロギー的闘争より、実はそういうことを言ってしばしば批判されるのですが、もう少しどこに問題があるのか、技術的な問題点というのは明らかにするということができないか。それが十分できていないというのは我々の非力であり、あるいは多くの国民の方に十分理解ができないという感じを持たす所以なのかなと思います。イデオロギーの対決のあるところでイデオロギー対決はできるだけ無視しようという主張もある意味ではなかなか大変な主張なのですが、過度にイデオロギー的対決があおられてきたのは日本の安全保障論争の歴史であるというのが私の基本的な認識でございます。