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記者会見

谷垣禎一幹事長記者会見(役員連絡会後)

平成27年2月20日(金)10:30~10:52 於:院内平河クラブ会見場

冒頭発言

(役員会の内容説明)

谷垣 禎一幹事長

本日の役員連絡会ですが、高村副総裁からのご挨拶で、今朝安保法制に関する与党協議を行ってきた。どういう要件で法律を立てつけていくのか等々いろいろまとまっていない部分もあるのでしっかりまとめていきたいという趣旨のご発言がありました。
私(谷垣幹事長)からは、予算委員会が昨日から始まって、本格的な審議に入っているわけですが、必ずしも全部の審議をしっかり聞けたわけではありませんが、政府側も丁寧な答弁をしていたと思う。引き続き緊張感を持って年度内成立を目指してやっていこうということを申し上げました。
佐藤国対委員長、吉田参院国対委員長からは、それぞれ国会日程のお話がありました。
溝手参議院会長からは、2月25日(水)に参議院選挙制度について協議会を開催し、協議会からいろいろ報告を聞くというご報告がありました。
茂木選対委員長からは、選挙区・比例区各支部長の選任作業を進めていて、今各県連に照会して意見を聞いているということ、また静岡市長選挙で現職の田辺信宏氏を推薦するというご報告がありました。
二階総務会長からは、昨日の予算質疑を聞いていての感想がございました。11月5日が「津波防災の日」で、これはいわゆる「稲むらの火」という、津波の時に稲むらを焚いて避難・誘導したということ、教科書にも出ていることですが、これが11月5日であったからこの日となっているわけですが、昨日の質疑を見ていると、やはりこういう日を法律で決めたということがまだ十分理解されていないというか忘れられている。これはまずいのではないかというご趣旨でした。
これは、当時の記憶を新たにしますと、自民党で「津波防災の日が必要であろう」ということで議員立法を考えたわけです。最初は他党の賛成が必ずしも得られなくてなかなか成立しなかったのですね。そうこうしているうちに3月11日の地震が起こって、「これはやはり必要だ」ということになった経緯がございます。したがって、全会一致で成立したのですが、その際「いつを津波防災の日とするか」ということについて議論がありまして、「11月5日ではないのではないか。3月11日ではないか」というご議論もあったのですね。ただ、まだあまりにも記憶が生々しくて、それをすぐ「津波防災の日」とするにはあまりにも生々しいということで、今まで何度も津波の被害に遭って、それを速やかな避難などに結び付け教訓となって残っている11月5日という初めの提案どおりでいこうということで決まったわけです。そういうことも思い出して、皆さまのご理解に供したいと思った次第です。

以上です。

質疑応答

NHKの瀧川です。「津波防災の日」に関しては、党として何かやっていくということなのでしょうか。
3月11日まではなかなかそういう理解があったわけではないが、3月11日を機に「やはり必要だ」ということで全会一致となった。そのようにして作ったが、それは多くの方に意識していただかないと意味がないわけですから、何ができるか少し研究しようということに今日の役員連絡会ではなりました。
テレビ朝日の千々岩です。昨日の予算委員会の質疑を見て、「理解が進んでいない」というお話だと思いますが。
実は私もそこの質疑のところを聞けていなかったのです。ただ二階総務会長が見ていて、「やはりもう少し当時のことの理解を進める必要があるのではないか」というようなお考えからそういう発言をされたのだと思います。そういう二階総務会長からの注意喚起があって、「確かにそのとおりだな」と思いまして申し上げた次第です。
テレビ朝日の千々岩です。予算委員会における民主党の黄川田委員からの質問で総理が答えられなかった部分を指して言っておられるのでしょうか。
そういうことなのだと思います。黄川田委員も「すぐに全会一致」ということをおっしゃったのですが、当初はなかなか黄川田委員の党も賛成していただけなかったというような経緯もあったのですが、やはり3月11日のインパクトは大きかったということですね。
読売新聞の天野です。17日の共産党の代表質問で、自民党の議員から「テロ政党」という野次がありました。選挙前後で幹事長は「謙虚に、腰を落として」とおっしゃっていましたが、この発言への受け止めと、共産党に対して幹事長から何か対応されたのか、教えていただきたいと思います。
発言者が特定できたということで、ご本人と国対から付き添って謝罪をしたということですね。「野次は議場の華」とも言われてきたわけですが、野次もやはりセンスを問われるというところがあって、今までも我が党からの野次あるいは野党からの野次も、いろいろ場合によると場外乱闘的なものもあったりするわけですが、この野次の扱いというのはなかなか難しいのです。では、みんな何も言わずに黙ってしんと聞けばいいかと言えば必ずしもそうではない。やはりその時それぞれの思いがあって、野次というと下品に聞こえるかもしれないが、そういうことによって議場が活性化するということもあります。しかし、さはさりながら、やはり規というものがあるでしょうね。
   今のご質問と合うかどうか分かりませんが、国会の弁舌というか演説で最上のものは、今までそう何度も経験したわけではありませんが、思わず議場・満場が発言者の発言にしんとなって耳を傾ける。寂として声なしということが最上の弁論だと思います。しかしそういうことはめったにあることではありません。逆に最悪なのは、誰も反応しなくて議場が眠ったようになるというのが一番まずいパターンだと思います。活発な野次が出て議場に生気があるというのはそれよりはずっといい状態だろうという感じはいたしますが、やはり野次の中身が問題になりますね。そういうことではないかと思います。
共同通信の比嘉です。昨日戦後70年談話に関して有識者懇談会が設置されまして、各党の戦後70年あるいは戦争に関する歴史認識が問われることになると思うので、幹事長のお考えを少しお聞かせ願いたいと思います。総理が2013年の答弁で、「侵略戦争の定義が定まっていない」という発言をされまして、戦後70年談話にも「侵略戦争」が盛り込まれるかどうかというのが一つのテーマになってくるかと思います。幹事長は、「侵略戦争」を盛り込むことについての賛否はお持ちでしょうか。
この話は、「キーワードがどうだ」などと言って非常にまず細かなところから議論に入っていくようなことがどうもあるような感じがしましてね。細かなところから議論に入っていくというのは、必ずしも議論の仕方として得策とは私は思いません。ですから、個別の用語について「こういうのは使うのか」という議論は、私もこの間の代表質問で申し上げましたが、「大事なのはそこに込められたメッセージである」というところから出発しなければいけないと思います。今の段階で「侵略をどうする」というようなことには、私自身は今の段階では踏み込もうとは思っておりません。
総理の基本的な姿勢として、私たち自民党という党は、ずっと政権を担ってきた政党ですね。革命を起こした政党でもありません。ですから、我々の政権が、大部分と言っていいかどうかわからないが、かなり長い時期やってきた、その間のいろいろな歴史認識などの考え方は基本的に引き継いでいく。革命を起こした、あるいはクーデターを起こした政権ならいざ知らず、我々はずっと政権を担ってきたという矜持がありますから、一つ基本的な点はそこだろうと思います。総理も基本的にそうおっしゃっているわけですね。やはりそういう認識で、大部分の間私どもの政党が政権を担ってきて、例えばこの間のオーストラリアのアボット首相がおっしゃったように、「戦前の日本がどうだったという議論はどうか。戦後の日本を見てみろ。立派な歩みをしてきたではないか」という趣旨のことをアボット首相は発言してくださったことがある。だから基本的には私も、アボット首相にそういう発言をしていただいたことはありがたいことで、やはり私どもが国際的に評価されるような歩みをしてきたということを頭の中に置いて作るべきではないかと私は思っています。私個人の考え方ですがね。
その上で、やはり未来志向ということが必要だと思います。全体の考え方や流れというものは引き継ぐとしても、70年ですよね。例えば日露戦争から70年というと、日露戦争が終わったのは1905年ですから、1975年ですね。私はまだ大学にいたころですが、それはやはり歴史の大事件で、何が起こってきたのかということはありますが、日露戦争が終わって何年だから談話を出すなどということはなかったわけです。それはもちろん時代など歴史のフェーズというのが違うわけですが、私は基本的に未来に向けてどういうメッセージを日本が出していくかということが大事なのではないかと思っています。それ以上立ち入ってそれぞれの論点というのは、それぞれの論者によっていろいろな論点があると思いますが、今の私は以上申し上げたような考え方で臨んでいけばいいのではないかというくらいのことです。
共同通信の比嘉です。では、談話をどう作るかということについてのお考えはいかがですか。
これは総理談話ですから、総理がどのように組み立てていかれるのか私もよく承知しておりませんが、やはり今度の有識者会議というのを設けられたということは、やはりいろいろな意見を聞いてみようということだと思いますね。その上での総理談話ですから、総理のいわば思いというか、多分総理のお考えになるのも、未来に向けて日本がどういう発信をしていけるかということでお詰めになるのではないかと思いますが、その辺はまだ私もよく分からないです。
戦後70年を迎えるということで伺います。1931年の満州事変、1937年の日中戦争と、かなり前のことですが両国間のしこりになっている話に関して、その当時の国際ルールに照らし合わせるとこれらは自衛の措置だったという考え方もありますが、幹事長はどのようにお考えですか。
私はそういう議論よりも、私が基本的に考えておりますのは、歴史認識というのはやはりそれぞれの国、社会、文化によって違うと思います。歴史認識を統一するというのは不可能だと私は思います。事実は何だったのかということは、またこの事実が何かというのも詰めていけば難しいですが、これは、証拠を集めるというと犯罪捜査みたいですが、事実が何だったかということはいろいろ努力すれば確定はできると思います。しかし、その事実をどう見ていくかというのはやはりそれぞれ違うと思います。それぞれの国の成り立ちによっても違うと思います。できることは、それぞれの国がそれぞれの歴史の見方があるのは当然で、それを完全に擦り合わせするなどということはできないのですが、要するに自分たちの歴史の見方が他から見たらどう見えるのかということは、時々かのべつか分かりませんが、お互いに意識し合うということは大事だと思います。私は大体基本的にそういう気持ちで臨むべきではなかろうかと思います。
NHKの瀧川です。有識者懇談会のメンバーが発表されましたが、その人選についてはどう受け止めておられますか。
なかなかいいメンバーが選ばれているのではなかろうかと思います。
NHKの瀧川です。バランス的にということですか。
はい。
朝日新聞の蔵前です。3月に訪中を準備されていると思いますが、その調整状況と、どういった方と面会するかということ、また戦後70年談話について何かやり取りがあるかもしれませんが、どのようなやり取りをされるか、お聞かせください。
中国に行くという方向で今調整しているのですが、基本的には今まで自公と中国との間で政党間交流がかつて我々の政権時代にはあったのですが、今は途絶えてしまっているわけです。我々の方も、「あれはやはり再開した方がいいのではないか」という提案をしておりまして、中国の方からも「再開しないか」というご提案があったので、再開をするということで「一度行きましょう」と、それならあちらも「歓迎する」ということで、私は、「衆議院で予算審議中はなかなかまだ難しい。衆議院で予算が通ったら」ということで、そこで中国にも都合のいい時期ということで言っておりました。大体3月の下旬ごろでどうかということになっていますが、今度はこちらが統一地方選挙などに入りますので、そういったことと、またどういう方と、行ってみたらだれにもお会いできなかったということでも意味がありませんので、どういう方とお会いできるのかなど、そういうことを今調整していただいている段階で、私のところにはまだ報告は来ていないということです。
戦後70年談話について総理の考えを幹事長としてお伝えするようなことはあるのですか。
先ほどの目的が政党間交流を再開するということですね。日中の関係はいろいろなことが今までもあって、隣国ともちろんいい関係を作っていかなければならないわけですが、今だっていろいろな案件、昨年のAPECで習近平国家主席と安倍総理が会談をしたというのは非常に大きな前進だったと思いますが、まだ問題はいろいろあるわけですね。もちろんそこで大きな前進が図られるのはそれに越したことはありませんが、あまり気負って行くのはどうか。要するにいろいろなことで、国の成り立ちも違えば考え方も違うところがありますので、腹蔵なくというか、「あちらはああ考えているのだな」、「日本はああ考えているのだな」ということから再開して始めていくということではないかと思っているのです。