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まなびとプロジェクト

第20回まなびとプロジェクト(講師:石破茂前政務調査会長)を開催しました

投稿日:2011.10.31

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第20回まなびとプロジェクト(講師:石破茂前政務調査会長)を開催しました
第20回まなびとプロジェクト(講師:石破茂前政務調査会長)を開催しました

第20回まなびとプロジェクト(講師:石破茂前政務調査会長)を開催しました
第20回まなびとプロジェクト(講師:石破茂前政務調査会長)を開催しました

開催日:平成23年10月19日
講 師:石破茂前政務調査会長
テーマ:「わが国の安全保障」
対 象:若手・中堅による政策勉強会

第20回まなびとプロジェクト・異業種勉強会との交流が10月19日(水)、
石破茂前政務調査会長を講師に、「わが国の安全保障」をテーマに開催されました。対象は、若手・中堅による政策勉強会に所属する皆様。以下、石破前政調会長の講演の要旨と質疑応答を掲載しております。

◎自民党が野党になった理由
 ○政権運営の酷さ
 自民党が今、野にあるというのは天が自民党に与えられた大変ありがたい機会だと思わなければいけません。私どもはなぜ、政権を失ったかと言えば、自民党は考え直した方がいいのではないか?と間違いなく国民から問われたからだと私は思います。野党でいる時にわが党は何を間違えていたのかをよく反省しなければなりません。理由は色々あります。一つは総理大臣が代わり過ぎたこと。私は国会議員を25年間やっていますが、その間、総理大臣は18人出て参りました。私の初当選が昭和61年で、中曽根康弘総理でした。その後、中曽根総理、竹下総理、宇野総理、海部総理、宮澤総理、細川総理、羽田総理、村山総理と来て、橋本総理、小渕総理、森総理、小泉総理、安倍総理、福田総理、麻生総理、そして鳩山総理、菅総理、野田総理と以上18人でございます。そのほとんどが自民党です。やはりこれは酷くありませんかという事なのです。
 そして私は福田内閣で3回目の防衛大臣を拝命しました。9月のことでしたが、9ヶ月間で防衛大臣が私で4人目でした。久間章生大臣、小池百合子大臣、高村正彦大臣に、石破茂と。大臣がよく代わるのは農水省もそうでした。翌年の9月に農林水産大臣になりましたが、1年9カ月で私で農林水産大臣は6人目でした。松岡利勝大臣、赤城徳彦大臣、遠藤武彦大臣、若林正俊大臣、太田誠一大臣に石破茂と。こういうことで、いくら国防は国の要だとか、自衛官は国の宝だと言ったところで、農林水産業は国の礎だとか言っても誰が信用しますか?もっと真面目にやってくれという批判は間違いなくありました。
 私どもはあまりに長く、政権を担っていたので、有権者に対する恐れとか感謝の気持ちをいつの間にか失ってしまったと、人々が思うようになったのだと思います。

 ○憲法改正に必要性を主張しないできた
 もっと根源的なこととして、わが党は語るべき事を語って来なかったのではないかと思います。わが党は昭和30年に結党されました。民主党と違って結党の時から、何を目指すべき政党かきちんと定めて参りました。『党綱領』というものであります。その一番の核は「自主憲法の制定」なのです。今回、大震災や大津波に遭遇して、「国家非常事態」が宣言されませんでした。わが国の憲法には「非常事態条項」がどこにもありません。そういう非常時に、戦前で言えば「非常大権」を誰が持つのかということです。国の形そのものが揺らぐ時に、諸々の権利を一時的に停止しなければ、権利を守ってくれる主体たる国家が崩壊してはどうにもならないからです。どの国の憲法にも非常事態条項はあるのですが、わが国の憲法だけは欠落している。これは一体どういうことかと考えた場合に、答えはたった一つ。この国は、独立主権国家としての体裁を整えていないのです。「主権」とは2つありまして、1つは国の事は国民が決めますという「国民主権」。もう1つは、領土・国民・統治機構のこの3つが絶対に存在するという「国家主権」という考え方です。日本国憲法は占領時に制定されました。「主権は国民に存する」という有名な条文はご存知の通りです。しかし、国民主権はありますが、国家主権は定められていません。では当時、国家主権は誰が持っていたか?アメリカ合衆国です。合衆国大統領が持っていた訳です。だから非常事態条項など、あるはずがないのです。その時は、合衆国大統領がそれを行使するということであります。
 もう1つは、有名な日本国憲法前文がありますが、そこには「日本国民は、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてあります。しかし、その言葉と違ったらどうしますか?相手が平和を愛好する諸国民でなかったらどうしますか?公正でもなく信義にもとる国家だったらどうしますか?という事は、全く想定されていません。この憲法前文と憲法9条はセットです。第9条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」と書かれています。ですので、前文と9条はセットです。諸外国を信じて生きていきます。だから軍隊など持たないですよとセットになっています。ただ芦田均元総理が当時、流石に憲法ができる際にこれはまずいと言うことで、第1項と第2項の間に「前項の目的を達するため」と挿入したので、何とか自衛隊合憲という解釈をしていますが、普通に読んだら自衛隊はあっていい事にはならないので、ずっと苦しい答弁をして参りました。わが国に陸海空の軍がないかというと、それはアメリカ軍が行うのであるから、日本には無くていいという憲法なのです。そしてわが国が独立しました。来年で60周年です。独立したからには、国家主権は合衆国ではなくて、日本国にあるのだと明言することは当然のことであります。だから先人達は自由民主党を作ったわけです。その原点を我々は絶対に忘れてはなりません。こうしたことをきちんと語って来なかったことが、野に下った原因だと思います。

◎軍隊と警察の違い
 「軍隊と警察の違い」についてはご存知でしょうか?軍隊の守るべきものは、国家の独立以外にありません。警察が守るものは、国民の生命、財産、公共の秩序です。いわば軍隊が果たす作用は、対外的作用です。警察が果たす作用は、国内の作用です。明確に違います。確かに今回の大震災の災害派遣や自衛隊法に定められている治安出動や海上警備行動等の様に、軍隊を警察的に使うことはありますが、警察を軍隊の様に使うことは絶対にありません。ここの部分が分かっている人はほとんどいません。小学校でも教えない、中学校でも教えない、高校、大学でも教えないから誰も知らない。
 「軍は国家に隷属」し、「警察は政府に隷属」すると言われております。軍は国家に隷属するからクーデターを起こす権利があるのだという理論は、今でも存在しております。つまり軍は国家なのだと。だから誤った政権が出たらそれを倒すことが出来るのが軍なのだという考え方は今も存在します。その逆はありません。警察がクーデターを起こした例はございません。だから「文民統制」という概念が出てくるのです。政治の軍事に対する優越というのは、軍は国家に対して隷属することのアンチテーゼなのです。ここを間違えると大変なことになります。軍隊というものは比類ない力を持っているが故に、何でも破壊できます。民主主義を破壊しようと思えば簡単にできてしまう。だからこそ、文民統制はなければならないのであり、「私は素人です」と公言する人が、トップに立つことがいかに恐ろしいことか。

◎「敵を知り己を知る」ことが安全保障の大前提
 自衛隊、普通の国で言う軍に対して、何が出来て何が出来ないのか?それは、根拠となる法律に明記してあります。つまり日本国憲法であり、自衛隊法であり、防衛省設置法であり、諸々の特別立法で決められている。自衛隊は、法律の根拠がなければ1mmたりとも動けません。阪神大震災の時に、自衛隊の車両は赤信号で全部、停車しましたが理由は簡単です。自衛隊の車両は、緊急車両に指定されていなかったからです。つまり法律の根拠に依らなければ自衛隊は何も動きません。従って、自衛隊法を知らないで、なぜ自衛隊を使えるのか。自衛隊の装備や実力を知らなければ運用もできません。小泉内閣の頃、防衛庁長官として野党から「北朝鮮と戦争になったら勝てるのか?」と質問されました。そこで私は「負けはしませんが、勝てることは絶対にありません」と答えました。すると野党から「何言っているのか?5兆円も国民の税金を防衛費に使って、F15戦闘機が200機、戦車600両、イージス艦も何艦も持っていて、なぜ北朝鮮に勝てないのか?」と民主党議員に言われました。
 しかし自衛隊は、戦争に勝つという前提で作っていないし、そもそもそのための能力を持たせていません。北朝鮮のミサイル基地をF15で叩けという人がいましたが、私は神風特攻隊のようなことを自衛隊員にやらせるつもりはありませんと答えました。なぜなら、自衛隊の戦闘機が、北朝鮮まで飛んで行けば、相手もミサイルで迎撃してきます。対空ミサイルを撃ち込んできます。どこにあるか分からないミサイル基地を見つけて、打撃して戻ってくるというミッションはそもそも与えていませんし、訓練もしていません。装備にもそういった性能を持たせていません。実力を知らないから、そういうことを言うのであって、自衛官の命を何だと思っているのか。もし戦に勝つというのであれば、法律を変えて装備にそうした性能を持たせてくれ、F15にそうした性能を持たせてくれ、ミサイル基地の場所が分からないのではどうにもならないので、偵察衛星を自前で持たせて下さいという話です。敵を知り己を知れば百戦殆うからずですが、己も知らず敵も知らなければ、百戦百敗に決まっています。
 では今まで日本はどこで間違えてきたのかというと、よく何の本を読めばいいですかと聞かれます。猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦―日本人はなぜ戦争をしたか―』この本だけは絶対に読んでもらいたいと常々申し上げております。何人かの総理大臣にも申し上げて参りました。『昭和20年夏の敗戦』ではなく『昭和16年夏の敗戦』であります。なぜ昭和16年夏かと言いますと、いよいよ日米決戦が避けられないという状況になってきて、帝国政府は「総力戦研究所」を官邸の裏手に作りました。そこには陸軍、海軍、大蔵省、外務省から内務省など、あらゆる役所、日本銀行などから、30歳代の最も優秀な人間を集めました。そこでどういう研究をさせたかと申しますと、もし日米が戦ったら何が起こるか?今でいうシミュレーションを徹底的にやらせた。そして昭和16年8月に結論が出ました。それは「何をやっても勝てない。どうやっても勝てない。ゆえに、いかなる理由があってもこの戦争だけはしてはならない」というものでした。開戦と終戦。彼らの言う通りになりました。彼らが読んだシナリオと違っていたのはたった一つ、それは広島、長崎に原爆が投下されたこと。これだけは彼らの予想を超えていましたが、あとはソヴィエトが不法にもわが国に攻め入るところまで彼らのシミュレーション通りでありました。
 なぜ勝てないか?今も昔も日本には資源がありません。南方に資源を求める戦争である。アメリカの油断に乗じて、南方を一気に占領することは可能である。緒戦は勝ち戦が続く。しかし、その南方から資源を日本まで運ぶ船がない。民間船舶を守る護衛艦がない。日本海海戦で勝利を収めて以来、艦隊決戦こそ帝国海軍のあるべき姿だとの考え方が徹底されてしまいました。ですから戦艦と巡洋艦、航空母艦は、艦首に菊の御紋章を付けております。駆逐艦には付いておりません。民間船の警備の仕事や役割を軽視するのは日本の悪しき伝統でありました。陸軍では補給の部隊は徹底的に馬鹿にされた。補給の兵隊さんの事を輜重兵と言ったそうですが、「輜重兵が兵ならば、蝶々トンボも鳥のうち...電信柱に花が咲く」とやはり軽視されていたそうです。「商船護衛などするものは、帝国海軍士官の腐った奴。腐れ士官の捨てどころ...」等とも言われたそうです。よって、商船護衛をする軍艦などほとんどないわけです。アメリカは国力に物を言わせて潜水艦を大建造するに決まっている。従って、次々に商船が沈められる。その商船が無くなった時がこの戦争の終わりだという事を総力戦研究所は予言をしました。その通りになりました。ちなみに、海軍で亡くなった人よりも、民間商船に乗って亡くなった人の方が遥かに多いです。
 そして当時、近衛内閣でしたが、今でいう閣僚懇談会でこの報告をした訳です。東條陸軍大臣はコメントして曰く「ご苦労であった。机上の空論とまでは言わないが、諸君の研究には偶然の要素が抜けている。昔から言うように、戦は時の運である。やってみなければ分からないのである。日清戦争も日露戦争も勝てると思ってやったのではない。労を多とする。口外無用。以上!」。これで終わってしまったのです。
 先帝陛下もお尋ねになられました。出来るのかと。そこで出来ますと答えました。その時に持ってきたデータは、第一次世界大戦で、イギリスの商船がドイツのUボートにどれだけ沈められたかというものでした。しかし、相手はドイツではなくアメリカである。舞台は大西洋ではない太平洋である。前提が全く違うにも拘らず、でたらめなデータを出して日米戦に突入した訳です。
 私はいかなる戦であっても、負ける戦は絶対にしてはならないと思っております。敵を知らず、己を知らず、素人ですという人が防衛大臣をやり、戦闘機も護衛艦も潜水艦も何だか分からず、部隊を動かす法律も分からなければ、この先、何が起こるのかは火を見るよりも明らかです。この一片を見ても私は野田内閣を全く評価しておりません。

◎沖縄になぜアメリカ海兵隊が駐留しているのか
 私は鳩山元総理に予算委員会で、「国外、最低でも県外と言うが、当てはあるのか」と聞きました。鳩山氏は「当てなどない」と答えました。「ならばなぜそんなことを言ったのか」と追及したら、「沖縄の人に喜んでもらいたいから」と言いました。ふざけるなと言いたい。その後有名な、「学べば学ぶほど、沖縄のアメリカ海兵隊の抑止力が分かった」と語ったわけです。
 ところで、なぜ去年の9月に中国漁船が尖閣諸島に来たのか?理由は3つ。1つ目は、日米同盟は機能するのか試すため。つまり国外だの県外だの、そんなことを平気で言う総理大臣。学べば学ぶほど...という政権。これで日米関係はどうなのか試してみようということ。2つ目は、小沢一郎氏が140人もの与党の国会議員を連れて北京を訪れました。中国人は媚び諂う人間を一番嫌います。こんなことして果たして与党の国会議員なのだろうかと中国は驚き呆れたわけです。3つ目は、習近平という中国共産党の幹部が陛下にお目に掛かりたいと来日してきました。われらが陛下は、どの国の人であっても喜んでお会いになられる。しかし、ご高齢で激務をこなされご病気にもなられた陛下なので、30日よりも前に申し込んで下さいというルールがあります。それを小沢一郎氏は「何を言うのか。相手は中国だぞ。陛下の国事行為には、内閣が責任を持って行うのであって宮内庁長官が何を言うか」と怒りました。陛下のご日程まで捻じ曲げ、脅せば言う事を聞くのだと印象付けたわけです。つまり中国は、安全保障が分からず、媚び諂う国家だというのでやってみようということが尖閣の背景です。
 では、沖縄になぜアメリカの海兵隊がいるのか?答えは2つです。1つは、日本に海兵隊が無いから。海兵隊はアメリカの専売特許ではありません。カナダ、ロシア、中国、韓国、北朝鮮、フィリピン、インドネシア、マレーシア、イギリスと海洋国家ならば全て普通に持っていますが、日本だけは持っていない。だから島を守ることもできないし、海外で危難に遭遇した日本人を助けに行くこともできない。アメリカにやってもらうしかないわけです。主権の3要素の1つは国民だと言いました。古屋先生がなぜ、拉致問題を一所懸命やっておられるか?これは国家主権が侵されたからです。一人の国民も見殺しにしないというのが、主権独立国家ですから。海兵隊の一番のミッションは、世界中の自分の国の同胞を助けに行くとことです。主権独立国家とはそういうものです。ソウルで、釜山で、台北で、日本人が動乱や戦争、災害等の危難に巻き込まれた場合、災害は別として、わが自衛隊は助けに行けません。行かないのではなく、行けないのです。なぜなら自衛隊法には、「輸送の安全が確認された場合にのみ行くことが出来る」と書いてあるのです。普通、危ないから救助に行くのであって、安全だったらJALやANAが行けばいいのですが、何でそういうことが法律に書いてあるかと言いますと、行くと国際紛争に巻き込まれるからだと。なぜ助けに行くのに国際紛争に巻き込まれるのか。しかしそういうわけで、日本がやれないからアメリカ海兵隊が行くわけです。もう1つは、日本は集団的自衛権が行使できないので海兵隊が沖縄にいるのです。それは、台湾や朝鮮半島にいるアメリカ人を助け出すためには、近い場所でなければ駄目なのです。陸軍が出ようと思えば補給陣地がいる。海軍が出ようと思ったら港が必要。空軍が出ようと思ったら滑走路が必要、となる訳で、真っ先にそれらを確保するのが海兵隊です。従って、近いところでなければ駄目、だから沖縄なのです。しかし沖縄の人の負担は、土地を取られ、騒音がうるさい、犯罪が多いetc...と色々ありますが、一番の負担は「外国の軍隊がいる」ということです。もし日本の自衛隊の海兵隊だったとしたら、話は全く違うと思います。日本が海兵隊を持ち、集団的自衛権行使を可能とした時に初めて、基地の問題は解決する話だと思います。その本質論を誰も語らない。しかしそのように主張すべきではないのですか。私はそのように思います。

◎集団的自衛権と憲法解釈の誤り
 集団的自衛権というのは、「自分の国にとって、重要で密接な関係にある国が、急迫不正の武力攻撃を受けた時は、それを自分の国の攻撃とみなして、共にその侵害を排除する、国連憲章第51条によって、全ての国家に認められた固有の権利」が定義です。日本だけがそれを「使えない」と、世界の中で日本だけが「使えない」という解釈をしております。これはロジカルに出てくるものではありません。憲法第9条の1項、2項を読めば分かりますが、どこからもこの様な結論は出てきません。「交戦権の行使に繋がる」という解釈も、「国際紛争の解決の手段」に抵触するとの理屈も、あり得ないと思っております。
 自衛権をめぐる議論は、憲法を制定する時にはじまりました。国会の議事録にありますが憲法の制定時に衆議院本会議で、時の内閣総理大臣は吉田茂、日本共産党書記長は野坂三蔵で、この2人の有名な論争があります。共産党の野坂三蔵氏は、「せめて個別的自衛権。自分の国がやられたら反撃すると言う、個別的自衛権くらいは認めるべきだ」と質問しました。それに吉田茂総理大臣は「個別的自衛権であろうと、そのような考え方自体を持つ事が誤りであります」と。共産党と自由党、逆ではないのです。そこからこの国は始まりました。個別的自衛権すら認めないというところから始まりました。
 その後、朝鮮動乱になりました。アメリカ軍は朝鮮半島に行ってしまいました。そこで、治安を維持するために「警察予備隊」を作りました。しかしこれは自衛隊の前身ではありますが、「警察」予備隊でしかありませんでした。そしてサンフランシスコ講和条約締結でいよいよ独立ということになって、警察では駄目だということで、「保安隊」を作って初めてそこに軍隊的なものが出来ましたが、残念ながら警察予備隊としての性格を今日の自衛隊に至るまで引きずるという、法律上の問題点を抱えております。
 集団的自衛権の行使が出来ないという解釈は、ロジカルに出てくる結論ではなく、吉田茂元総理がかつて個別的自衛権も認めないと言いましたが、その後、個別的自衛権くらいは認めなければならないと変わって、個別的自衛権は認めて下さいと、その代わり、集団的自衛権は絶対に使いませんからということで出てきた解釈です。それ以来、もっともらしく主張しているだけなのです。つまり憲法解釈そのものが間違えているのであって、憲法を改正しなくても、解釈さえ変えれば集団的自衛権の行使は可能になるのです。憲法改正しなければ集団的自衛権を行使できないということはありません。自民党の中にもそうした主張をされる人がおりますが、論争に勝たねばならないと思っております。
 日米関係はどうかと言いますと、日本が攻撃されたらアメリカが助けに来てくれる。これは義務なのだから絶対だと。でもアメリカが攻撃されても日本は助けに行けません。酷い話ではないか?となりそうですが、いや酷くありませんよ、国家主権の重要な要素たる領土を義務としてアメリカに提供することでバランスを取っているのです、ということになっております。アメリカに基地を貸している国は沢山ございます。しかし義務として提供しているのは日本だけです。では、なぜ義務なのかと言えば、アメリカの日本防衛義務に対して、日本が負うべき義務として基地提供義務を負っているのです。そしてこのことは日本の安全のためだけではなくて、極東地域(フィリピンから北で台湾海峡・朝鮮半島を含む地域)の平和と安全のために、日本の主権たる領土を基地として、義務として提供している。これが日米の関係です。
 
◎抑止力について
 わが自衛隊が持つべきものは抑止力です。抑止力には2つの意味がありまして、1つは「懲罰的抑止力」。「もしやったら何倍にして仕返しをするぞ、だからやるな」というもの。核抑止力などがこれに入ります。もう1つは「拒否的抑止力」。「やっても無意味で無駄だからやめろ」というもの。ミサイル防衛などがこれに入ります。わが国も抑止力を備えなければなりませんが、「懲罰的抑止力」をわが国は持てない。そもそも防衛予算5兆円では無理なので、これをアメリカにやってもらう。でも拒否的抑止力はきちんと備えよう、という議論は、きちんと詰めなければなりません。
 「わが国は核兵器を持つべきだ」との議論がございます。理論的には間違っているとは思いません。しかしわが国が核兵器を持つということは、「アメリカとの同盟を信用しない」という事と近い理論ですので、ここは相当な考察が必要です。わが国が核を持つということは、北朝鮮が持ってはいけないと主張する理由を失うということです。広島・長崎と核の被害を受けた唯一の国たる日本が、核を持つとなれば、世界中の国が持つことにもなりかねません。今、核を持つことを認められているのはNPT条約によって、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国だけです。インドやパキスタンのように「やった者勝ち」とか、イスラエルのようにそもそもNPTに入っていない、など例外はあります。「NPT条約は不平等条約だ」とよく言われますが、その通りです。しかし世界中が核を持つよりはいいのではないか。この点もわが党の中できちんと議論を詰めなければなりません。ただ私は、核を持つべきだとの結論に至る前に、行うべきことが幾つもあると思っております。ドイツもイタリアも核を持っておりません。NATO諸国で持っているのは、アメリカ、イギリス、フランスだけ。しかしアメリカの核抑止力に全面的に依存しているわけではなく、常にどういう場合に核を使うかなど、年に何度も会議を行っております。日本とアメリカは、核の使用についての会議を少なくとも大臣レベルで行ったことはありません。「これで何が抑止力か」ということです。そして、ミサイル防衛の精度などはもっと上げなければならない。なぜ北欧諸国があの冷戦を生き延びたのかなども考えなければなりません。スウェーデンやフィンランドは常に核攻撃などに対する避難訓練を行っていました。スウェーデンの建築基準法では、一定の広さ以上の建物には核シェルターの設置が義務付けられております。日本にはそのような基準もなければ訓練もありません。麻生内閣の時、浜田靖一防衛大臣でしたが、北朝鮮がミサイルを発射したので日本中が大騒ぎになりました。何とか事無きを得たけれども、いざというときにミサイル警報を聞き分けられますか?なにがミサイル警報の音だかわからなければ、鳴っても避難しないでしょう。北欧はじめ、どの国も必死で、避難訓練もやり、核抑止の信頼性を高める等やってきた。何の努力もしないで、いきなり核を持つべきだという議論は、私はあまり正しい議論だとは思いません。議論に議論を重ね、尚、信用できないので持つべきだというならば、大きなリスクを負う覚悟が必要です。私は、まだそこに至っているとは思えません。私は、安全保障というものはそのようなものだと思っております。

◎自衛隊を軍と認めることが自民党の役割
 最後に、「自衛隊は軍隊ではない」というのはなぜなのか。軍法会議がないからとよく言われます。どの国の軍隊でも、命令違反はその国の最高刑が課せられます。死刑なら死刑。終身刑なら終身刑。なぜなのか。それは誰も死にたくないからです。突撃命令が下った時に、死にたくないから命令に背いてでも逃げたいというのは、人間の真理です。しかし、命令に背いたら必ず死刑だとなれば、怖いけれども命令に従います。この話をすると嫌がられますが、どの国の軍隊にも、その国の最高刑が用意されているのは、人間の弱さを見ているからです。その代わり、軍人にはその国の最高の栄誉が与えられます。アメリカ合衆国で最高の勲章は、大統領がもらうのではなく、必ず軍人の最高位の人がもらうのです。軍人が命を懸けて国家の独立を守るからこそ、国民の生活があり、政治があるからです。国家の独立が無くなったら、政治も何もあったものではない。国の独立を守る者が一番崇高なのであり、それに命を懸ける者が一番崇高なのです。普通の国の価値観とは、そういうものなのです。私がもし今、死んだとすると、たぶん勲章を頂けることになると思います。そして、おそらくその勲章は、自衛官の最高位の統合幕僚長よりも上の勲章になるのだと思います。私は、そんな馬鹿な事があっていいとは思わない。だから自衛隊は軍隊じゃないというのです。自衛隊は何に依っているかというと、自衛官になった者が等しく任官する際に行う「服務の宣誓」です。そこには、「(我々自衛隊員は)、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえる」と宣誓しますが、この宣誓だけなのです。これを誓うことは大変な事です。「危険を顧みず」という言葉が入った宣誓は自衛隊だけです。警察、消防、海上保安庁には入っていません。誰だって死にたくない。誰もが家族がおります。危険を顧みないと誓うのはどれほど大変なことか。ですから私は、自衛隊を軍としてきちんと認めなければ国家ではない、そして日本とアメリカの関係を対等にしなければ、国家ではない、と思っております。自由民主党は、これをやるためにこそあるのであって、民主党には絶対に出来ません。
 政党とは目的を持った者同士の集まりです。目的を共有する仲間がどれだけいるかということであります。私どもは今、野におります。そうであるだけに、きちんとそれを語るべきだろうと。日本は日本として、主権独立国家として立つのだ、と国民が誇りと責任を共に担う国にするのが、自民党の使命であると思っております。あと1年10カ月以内には総選挙があります。その間に、この安全保障、税制改正、社会保障の問題等もありますが、わが党は何をするための政党なのかという思いを共有して、次の政権を担いたいと思っております。

(質疑応答)

Q1:日本の安全保障を考える際に、経済や財政面での安定をどのように維持するかが問題だと思いますが、経済が危機的な状況にあると思うがどう考えますか?

A1:石破茂前政調会長
 経済成長と財政再建をどのように両立させるかは、難しい課題です。経済の成長が先行しすぎて金利が上がってしまっても財政再建は難しくなります。1、まずは財政出動に依らない景気浮揚をどれだけ行えるかを議論しなければなりません。2、そして財政出動は乗数効果の高いものに限るべきだと思います。3、円高だからと言って対処療法に終始すべきではありません。円高のメリットをもっと考えるべきでしょう。今、高級自動車もインド等で造れる時代です。しかし、研究開発と最初のモデルだけは、日本でなければいけない。これは医療機械や製薬分野等でも同様です。従って、海外でどれだけ利益を出してGNPを増やして、それを日本に持ち帰ってGDP上昇に反映するかです。やがて訪れる円安までの間にどれだけ変わることが出来るか。GDPを上げられるのは付加価値を生む、企業・法人なのであって個人ではない。従って、消費税を10%に上げる程度では財政再建そのものが達成できるわけではなくて、経済成長も同時に促さねばならないのだと思います。

Q2:TPPについて、安全保障の観点からも重要だとの意見があるがどう思うか。またどれ程、重要なのか。

A2:石破茂前政調会長
 日米安保条約は、たった10条しかない。しかし軍事の事ばかりではない。文化から経済に至るまで取り決められております。経済的な連携を高めることは安全保障の面からプラスに作用すると思います。また中国を排除しようとするものではないが、無茶苦茶なルールは変えさせなければならない。アメリカ合衆国の力は相対的に落ちていく中で、その分、日本、韓国、オーストラリア等で総合的に補う必要があると考えた場合、TPPによって同盟国たる合衆国、準同盟国たる韓国やオーストラリアと連携を深めることは、安全保障上の観点からもかなり利益のある話ではないでしょうか。大体、交渉に参加することさえ反対というのは不思議な議論です。外交上の交渉を行うのは政府の専権事項です。そして政府がどのような交渉をしても、その条約の発効は国会の承認が必要なので、そこで駄目なら承認しなければいいわけです。国際交渉なのだから、日本にとって最善の条件を出して交渉すればいい。WTOと違って限定的な地域なのだから、日本が加わらなければ相対的な意味は相当低下するでしょう。アメリカが莫大な利益を上げると陰謀めいた話があるが、自動車でさえ国際競争力も無いし、アメリカ製の工業製品はほとんどありません。従って、アメリカの利益のための交渉ではないし、自民党ならばどのように交渉するか考える必要はあると思う。例えばコメは787%という輸入禁止のような高い関税率にしているから、食べもしないミニマムアクセスを莫大な量、買わなければならないわけです。この地域で残念ながら、中国との価値観の共有は困難である以上、日米同盟を強化する意味でも、TPPの意義は肯定的に評価すべきだと思います。ただし、経済関係がいいから、一番の相手国と戦争が起きないと思うことは間違いで、第一次世界大戦の時のドイツの最大の貿易相手国はイギリスでした。イギリスの元首相のパーマストンは、かなり興味深い事を言っております。彼は「わが英国にとって永遠の敵も無ければ、永遠の同盟も無い。あるのはただ一つ、永遠の英国の国益のみである」と述べております。これはきちんと考えなければなりません。私は日米同盟を盲目的に信頼しているわけではない。彼はまた、「経済的利益というものは、ナショナリズムの前にはほとんど意味を持たないものである」との言葉も残しています。当時、誰もが英国相手にドイツが戦争を仕掛けるなど思いもしませんでした。従って、TPPにしても二重三重の安全保障上の安全策を講じておいた方がいいと思います。

Q3:石場先生の話を聞きと全部納得できます。しかし反対論者がいるから今の現状があると思うが、例えば憲法変えずに集団的自衛権の行使とのことだが、そうできないのは何故か?また沖縄の海兵隊が不要だという勢力はなぜ不要だと言うのですか?

A3:石破茂前政調会長
 自分の頭でつきつめて考えていないからです。反対論者は、観念的な反対論でありロジカルに反対しているとは言い難い。では賛成論者はどうか?私も古屋先生も同じですが、憲法の解釈が正しければ、憲法を改正しなくても集団的自衛権を行使できるのだ、と説得するのに成功しているわけではありません。佐瀬昌盛先生の『集団的自衛権』という本があります。大変難しい内容です。つまり集団的自衛権の話は、票にもカネにもならない。憲法の事よりも道路や橋の話しになりがちです。しかし、憲法改正や解釈の話は国会議員の専権事項のはずです。ただ、インセンティブが働かないのが現状で、自民党もこの手の話を避けてきた。反対派の多くは、自分たちの主張の矛盾や嘘があることも知らないのか、感情論反対と言っている。ですが、それは震災時の「トモダチ作戦」で主体的役割を果たしてくれたのは沖縄の海兵隊だと知らなかった、というのと同じ次元です。自民党の中でも、きちんと議論して、憲法の解釈が正しければ改正しなくても行使はできる、としなければならないと思っています。そして、そうすれば当然、一連の法体系は変わります。行使可能とするためには安全保障基本法が必要であり、これを受けて日米安全保障条約は改定になり、自衛隊法も防衛省設置法も有事法制も変わります。私案はすでに5年前に準備していますから、今こそ自民党内で積極的に議論したい。我々は国民に向けてこれらのことを説明する義務を負っているのであり、自民党そしてそれをやらなければならないと思っています。

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