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安全保障法制整備推進本部

第1回 集団的自衛権について(高村正彦 副総裁)

 

党則79条に基づく安倍晋三総裁の直属機関として設置された党安全保障法制整備推進本部の初会合が3月31日に開かれました。
 同本部はわが国周辺の安全保障環境が一層厳しさを増すなか、それにふさわしい対応を可能とするような安全保障の法的基盤の再構築について検討するのが目的です。本部長を務める石破茂幹事長は「わが国の安全保障法制の整備は多くの課題がある。自民党らしい議論を闊達に展開していきたい」とあいさつ。党内外の有識者を招き、週1回のペースで会合を開いていく方針を示しました。
 この日は高村正彦副総裁が集団的自衛権のあり方について講演しました。高村副総裁は「自国の存立に必要な自衛措置は認められる」とした砂川事件の最高裁判決を引き合いに、「政府はこの法理に基づいて必要最小限度の自衛権はあると言っているが、集団的自衛権はできない、個別的自衛権はできるというのは大分論理の飛躍がある」と指摘。「自国の存立を全うするために必要なことには、集団的自衛権の範疇に入るものもあるということを検討すべきだ」と述べました。


(第1回)
高村正彦 副総裁からの説明

皆さんこんにちは。本部長から、この会では集団的自衛権のみを扱うものではないとの話しがございましたが、今日の私は、集団的自衛権に限って私見を述べさせていただこうと思います。


立憲主義ということがよく言われますが、憲法というのは権力を縛るものである。それだけが目的かどうかということはともかくとして、どんなに時代が変わっても、権力を縛るという重要な側面があるということは変わらないのだろうと思っております。
そして、日本国憲法は、その立憲主義を制度的に担保するために、三権分立を決めたわけであります。憲法の番人は最高裁判所であるとされております。最高裁判所は自衛権について、1959年の有名な砂川事件判決において、個別的とか集団的とか区別をしないで、自衛権については、国の平和と安全を維持し、国の存立を全うするための措置は当然とり得る。そしてその前提として、固有の権利として自衛権というものは当然持っているとも言っているわけであります。
私の知る限り、この判決が、最高裁が自衛権について述べた唯一無二の判決でありますから、当然この法理に基づいて解釈する。言葉を代えれば、この法理を超えた解釈はできない、この法理の中であればこういうことだとなります。
今までの内閣は、この法理に基づいて、色々言っているわけであります。この法理に基づいて、必要最小限度の自衛権はあると言っております。「必要」と「必要最小限度」は随分違うように響きますが、現実にはあまり差はないのだろうと思います。必要な措置をとり得るということの裏を返せば必要な措置以外はとり得ないわけでありますから、必要最小限度といってもそれと大差はないと言ってもいいかと私は思っております。
ただ、必要最小限度の措置といったところで、集団的自衛権はできません、個別的自衛権はできます、というのは大分論理の飛躍があると思います。多分、内閣法制局は、集団的自衛権の行使はできないと言った時に、集団的自衛権の典型的な対応を思い浮かべて言ったのだろうと思います。


アメリカがどこかの国に攻められた時、日本の自衛隊がアメリカまで行って、アメリカを守るという自衛権は、我が国の存立を全うするために必要、あるいは必要最小限とはとても言えないし、アメリカもそのようなことは期待していないので、それはできませんよと言ったのであればそれは正しいのですが、集団的自衛権全ての行使ができないと言ったとしたら、それは大いに行き過ぎであると思います。
例えば、集団的自衛権の範疇に属するもので、我が国の存立を全うするために、必要最小限度のものにはどのようなものがあるか。例えばの話になりますが、第三国が、我が国を放っておけば侵略してくるかもしれないような情勢の下で、アメリカの艦船が日米安全保障条約に基づいて近海を警戒行動をしてる。第三国がその船に襲いかかろうとした。日本がそれを守ろうと思えば守ることができたにも関わらず、これは集団的自衛権だから駄目だということで守らなかったとする。それでアメリカの船が大損害を受ける、もしくは沈没するという事態になった時、その後、第三国が日本に侵略してきた。
アメリカは世論の国でありますから、自分たちの船を見殺しにした国をアメリカの青年の血を流して守るということになるかどうかというと、常識的にならないと思います。そうだとすると、その時にアメリカの艦船を守る日本の武力行使、これは今までの定義からいえば集団的自衛権と言わざるを得ないですが、これも必要最小限度のものにあたるのではないのかというのが私の私見であります。多くの人もそのように考えると思いますし、安保法制懇もそうだと思います。


安保法制懇は、これだけでなく4類型とか、あるいは新たな類型も検討していると思いますが、これらが全て必要最小限度にあたるかどうかは、安保法制懇がどう考えるかは別としてここで検討すればよいし、その他のことについても必要があれば検討すればよいと思います。
ですから、我が国の存立を全うするために必要なこと、あるいは内閣法制局の言葉で言えば、必要最小限度のことには、集団的自衛権の範疇に入るものもあるよと。そういうことを検討するべきであると思います。


今まで集団的自衛権は駄目と言ってきたのだから駄目だよという人がいます。自民党の中にも若干はいるかもしれません。そういう方達に私が聞きたいのは、私が今挙げたような例が、日本の国の存立を全うするために必要最小限度でないと思っているのですか、あるいは必要最小限度であったとしても、集団的自衛権と名前が付いていればそれは駄目だと仰っているのかよくわからないので、そのような人たちにはご意見を聞かせていただきたいと、こういう風に思っています。
それと反対の方向に、国連憲章で個別的自衛権、集団的自衛権を認めているわけですから、必要最小限度とか、必要な措置とか言わなくても、行使できるから権利であって、権利があっても行使できないというような理論はおかしいという人達、極めて分かり易いけれども、これはまっとうな法律家は納得しない議論であると思っております。
国連憲章で認めているからと言って、日本国が日本国の意思に基づいて、憲法に基づいて、その行使を制限することができないということには当然にはならないと思います。最近、国連憲章で認めていることは自然権なのだから、自然権である以上、憲法でもって政府がやることは制約できないのだと、自然権ということを補強して言ってくる人もおり、これはあり得ることだと思っていますが、その場合、自然権というのが、個別的自衛権、集団的自衛権、丸々自然権なのか、あるいは今まで考えてきたような国の存立を全うするための必要なものに限って自然権なのか。
どちらもあり得ると思いますが、少なくとも我が国の憲法の番人である最高裁判所は、憲法9条2項にも関わらず、必要な措置は取り得る、反対解釈すれば、必要でない措置はとり得ないということを言っているわけですから、最高裁の考え方とは違うということは言えるのではないかと思っております。


安全保障基本法は、石破本部長だけでなく多くの方が大変なご努力でやってきたわけでありますが、私が集団的自衛権ということで党内議論に噛んだのは、私が覚えている限りでは3回だけでありました。 それは野党時代、憲法改正推進本部において、谷垣総裁の下で、たまたま集団的自衛権の議論がされておりました。その時の大勢は集団的自衛権の行使を現憲法下で認めてもよいのではないかというものでありましたが、少数派として、憲法を改正して認めるべきであり、解釈を変えてというのはおかしいと安保関係の有力者の中からそのような意見もありました。
その時、私は今まで述べてきたような内容を述べたわけであります。国の存立を全うするために必要なときは、必要最小限度の集団的自衛権ならできると。どこまでが憲法解釈かというと、例えば、内閣法制局の必要最小限度のものまでできるというのが憲法解釈です。
集団的自衛権はそれに当たらないというのは、それは憲法解釈に基づく当てはめの問題なのです。だから根本の必要なものはできる、必要最小限度のものはできるというのは憲法解釈、それに基づいて当てはめて、十把一絡げに集団的自衛権には当たりませんねと言ったのを、いやいや集団的自衛権の対応にも色々あって、当たらないものもあれば当たるものもあるというのは、実質的には当てはめの違いだけであって、実体的には憲法解釈の変更ともいえないようなものであるから、こういうものは許されるのであると私の方から述べたところ、当時の安倍前総理大臣は、高村さんの考え方は分かり易いですね、根っこから認める時は憲法改正ですね、必要最小限度のものだけ認める時は解釈変更でもいいということですねと言われたので、そういうことですと答えたのですが、私はその時びっくりしました。
私はそれまで安倍さんは丸々認められる論者だと思っていましたから、意外と柔軟だなと思った覚えがあります。その時の議論は、一応それで収まったように見えたのですが、その後、自民党の公約を作る時に、安保関係の有力者の一人が、やはり憲法改正でなければ駄目だと言っている、なんとか説得してほしいと頼まれ、私は誰に頼まれたか忘れてしまいましたが電話をして、必要最小限度の範囲であれば解釈変更してもよいという意味ですよという説明をしたら、それなら納得しましたということで納得してもらったので、公約ができたと承知をしております。


安全保障基本法についてこれまでやってこられた方に敬意を表しますが、最後の頃だけ出て、これを党議決定するのであれば、この中に必要最小限と入れてほしいと言ったところ、大変柔軟に石破さんに対応していただき、それならいいよということで安保基本法というのが決定されたと承知しております。


憲法改正草案を自民党がつくって、それを丸々だして国民が納得するのか、それとも別に一条ずつ出していくべきなのかというのはまた別問題の話で、安保基本法についてもそのまま丸々最初から出るのが得策かどうかというのは、議論の余地はあると思っているところであります。


よく解釈改憲はいけないのではないかと言われますが、私は法理から言って、前の内閣が言ったことはよくて、今の内閣が言うことは間違っているというのは違うのではないかと。立憲主義の建前からいうと、その憲法を作ったときにどういうふうに考えていたかというのはものすごく重要。憲法が権力を縛るものであるなら、その憲法を作った時にどのように考えていたかというのはものすごく重要なのです。 吉田(・元首相)さんが言っているんですけど、憲法9条2項は、自衛権は直接は否定していないけども、戦力を持つことを一切否定しているから、結果として自衛権は行使できないことになります、ないことになりますと吉田さんはここまで言っているんです。
立憲主義と言っていてこれに縛られるよと言うのならまだわかりますが、前の内閣がそう言っているからそのとおりしなければならないということには必ずしもならないかと。吉田さんはこう言っているけれども、どのような状況で言ったかというと、当時、国連がこれからできて、しっかりと国際平和団体としての役割を果たして、日本を守ってくれるであろうという淡い期待を持っていたのであろうと思います。 そういうことで、日本は自衛権の行使をできないと言ったわけでありますが、日本が主権を回復する頃から、国連にそこまで期待できないということで、最低限の戦力を持つことができるとか、自衛権の行使ができるとか、閣議決定もしないで、個々の閣僚の答弁で、そういう本来の立憲主義に反すると言えば反するというようなことを既にやっているわけです。大解釈改憲をやっているわけです、大解釈改憲。コペルニクス的大転換、自衛権を持てない、行使できない、から自衛権を行使できるという大転換をやっているわけです。
この大転換については、我が党の人は、皆支持しているはずなんですけどね。自衛隊を認めているわけですから、この大転換を皆支持しているはずであります。それに対して、その時の変更に比べれば、集団的自衛権はいけないと内閣法制局が言ってしまっているわけですから、それを変えるというのは、形式的に解釈改憲であるということを否定するものではありません。解釈改憲と言えるでしょう。言えるけれども、実質的な解釈改憲ではないし、あてはめの問題に過ぎない。また、主権回復当時の大転換に比べれば、100分の1か1,000分の1程度の解釈改憲であると私は考えているわけであります。
これが認められれば、憲法9条2項がないことになるという人がいますが、アメリカに行ってアメリカを守ることやイラクに行ってアメリカとともに戦うことは必要最小限度ではないでしょうから、必要最小限度というのは、我が国の存立を全うするための必要最小限度でありますから、憲法9条の存在意義が全くなくなったということにはならないわけであります。
それ以上、他の国と同じように、集団的自衛権を丸々認めるということになるとそれは憲法改正が必要となる。憲法改正が必要な部分と憲法を改正しなくても解釈改憲でできる部分があると。そういうことについて、安倍総理が頭から100パーセント賛成かは分からないが、それは分かり易いですねと言っていることを見ると、柔軟に許容していると思っているわけであります。


今までの安保論議を見ますと、頭初反対論が圧倒的に多くなります。これは自衛隊を作った時もそうですが、あるいは安保改定の時、あるいは周辺事態安全確保法のような武力を全く使わない時だってそうなんです。そして、PKO法の前の国連平和協力法なんかもそれで廃案になった。
そしてPKO法も最初は反対が多いけれどもだんだん国民にわかっていただいた。平和ボケとは言わないけれども、ユートピア的平和主義者は、平和外交努力の必要性は認めるけれども、抑止力の必要性を軽んじる。これは両方必要なので、抑止力の存在も認める人が、私は現実的平和主義者であると思います。


最初にユートピア的平和主義者の議論が先行し、そしてよく説明して現実的平和主義者の抑止力も必要だよということを国民に理解いただいて、その結果、ほとんどの国民が自衛隊を理解し、周辺事態法やPKO法もでき、あるいは安保条約も改正された、ということになっているわけであります。
この議論を一部認容することが駄目だという議論も今あります、全部認容するべきであるという議論もありますが、一部認容することは、我が国の存立を全うするために必要なものであるということで、すぐには納得いただけないと思うが、議論すればするほど賛成者が増えていくと、他の安保に関する議論と同じようになると思います。すべての政治家が憲法遵守擁護義務を持っている一方で、すべての政治家が、国の生存権、国民の生存権を全うする義務を持っており、両方大切なんです。
憲法の範囲内で、国民の生存権、国の生存権を守るために、後世の歴史家から批判されないような結論をここで出していただければ大変有り難いと思います。


私は国の存立を守る必要な自衛権の行使、あるいは必要最小限度のと申し上げましたが、それに具体的に何が当たるのか、当たらないのか、という当てはめが極めて重要であります。
それについて、石破本部長の下で、これから議論をしていただきたい。それから集団的自衛権だけではなくて、自衛隊が動く場合に、色々領域警備の問題でも、あるいは集団安全保障の場面においても、どのようなことができるのか等、色々議論していただきたい。
そして、内閣が閣議決定したからといって、すぐそれに基づいて自衛隊が動くことができるようならないことは当然であります。内閣の意思決定があり、国家全体としての意思は国会で法案が通って、それで自衛隊が動けるようにならなければなりません。
そして更に具体的な事案で政策決定して、法律の書き方ではありますが、国会の承認が必要になるかもしれない、それが事前か事後かということも含めて、ここで具体的事案について議論が進むことを期待をしたいと思います。

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