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党のあゆみ

第14代 海部 俊樹

海部総裁時代

宇野内閣の退陣表明にともなう平成元年八月八日の総裁選出は、党大会に代わる両院議員総会で、両院議員と地方代議員の投票によって行われました。出馬したのは林義郎、海部俊樹、石原慎太郎の三候補でしたが、海部候補が過半数を獲得して、第十四代総裁に就任しました。国会の首班指名では、衆議院で海部総裁が、参議院で社会党の土井委員長が指名され、衆議院の議決が優先されて、海部総裁の就任が決定しました。なお、新総裁の任期がこの年十月末までの前総裁の任期を受け継ぐものであったため、十月六日に総裁選挙を告示、候補者は海部総裁一名であり当選。十月三十一日の第五十一回臨時党大会に報告し、海部総裁の再任が決定しました。

海部新首相は、九月末に開会した百十六回臨時国会における所信表明演説で、「対話と改革の政治」を旗印として「公正で心豊かな社会」を目ざすと、その政治姿勢を明らかにしました。政策面では、消費税について国民の声をよく聞き、消費者の立場を十分考慮して、見直すべき点は思い切って見直していくと述べるとともに、対外的には、竹下内閣以来の「国際協力構想」をいっそう積極的に推進すると、従来路線を継承する意思を示しました。また、社会の公正さに対する国民の信頼を揺るがしている原因として、特に地価の異常な高騰をあげ、宅地・住宅対策に積極的に取り組むと述べました。

この国会は、参議院選挙勝利の余波をかって、消費税を廃止に追いこみ、あわよくば政権の座を奪おうとする野党と自由民主党との対決の国会となりました。社会、公明、民社、連合の四会派は共同して、消費税廃止関連九法案を参議院に提出し、これを通過させましたが、審議の過程で多くのミスがあることが分かり、法案は修正を余儀なくされました。これに対して自由民主党は、精力的に国民の意見を聞き、十二月はじめに、飲食料品について軽減税率の適用、入学金や出産費、家賃等を非課税、総額明示方式等を盛り込んだ、消費税見直し案を決定し、その関連法案を次期通常国会に提出することとしました。

平成元年は、わが国政治における大きな変動の年でしたが、国際情勢はこれよりさらに大きな変動に見舞われました。

まずアジアでは、天安門事件という不幸な出来事はあったものの、三十年ぶりに中ソ間の国交が正常化されました。また、欧州では、ソ連のペレストロイカとグラスノスチが東欧諸国に波及し、誰の目にも社会主義による政治と経済の失敗が明らかになりました。各国がそれぞれに市場経済と民主化を模索しはじめましたが、とりわけ東ドイツでは、社会改革を要求するデモと大量の市民の西側への脱出がはじまり、政権の交代のなかで、十一月、ついにベルリンの壁が崩壊し、分断ドイツの再統一問題が浮かび上がりました。これをきっかけに東欧各国はなだれを打って社会主義からの離脱を表明し、さらにソ連を含めて各国で、民族自決を求める動きが顕在化したのです。

さらに、米ソ首脳は十二月に地中海のマルタ島で会談し、「東西冷戦の終結」を宣言しました。これは第二次世界大戦以来の世界秩序の枠組みとなってきたヤルタ体制の終焉を示すもので、世界はこの時から新たな秩序構築に向けて進むことになりました。

国内の最大の関心事は、言うまでもなく総選挙の日程でしたが、海部首相は、平成二年一月の百十七回通常国会の冒頭に衆議院を解散し、第三十九回総選挙の幕が切って落とされました。

野党は前年の参議院選挙での勝利の再現を夢み、再び消費税を争点にして、衆議院でも自由民主党を過半数以下に陥れようと画策しました。マスコミもこれを最大の焦点と煽り立てました。しかし、実施以来一年近い時日を経た消費税はすでに国民の間に根づきはじめていたのです。

二月十八日の投票の結果、自由民主党は過半数を割るどころか、安定多数をはるかに上回る二百七十五議席を獲得しました。国民は参議院選挙後わずか七ヵ月で再び自由民主党を信任したのです。社会党も一三六議席と善戦しましたが、公明、共産、民社はいずれも大きく後退しました。

二月末日、第二次海部内閣は発足し、首相は百十八回特別国会で、就任以来初の施政方針演説を行い、総選挙で自民党が安定多数を確保したものの、参議院で与野党逆転が続いていることをふまえ、「国民的合意を目指す」と対話を重視する姿勢を強調しました。続いて、日米首脳会談のため米国へ飛び、ブッシュ大統領とのあいだで、日米構造協議について懇談しました。米側は、新通商法三〇一条の対象品目を上げて解決を迫り、首相は、「新内閣の重要課題の一つとして力強く取り組む」と述べました。

この間にも自由民主党は政治改革の実現に向かって、精力的に取り組みました。自由民主党は、「党基本問題プロジェクトチーム」を発足させて、選挙制度改革に関して討議を深めるとともに、国会改革については、議会制度協議会を開いて、野党側の協力を求めるなど、精力的な活動を続けました。

こうした間にも、国際情勢は思いもよらぬスピードで展開を見せました。ソ連では、リトアニアの独立宣言を皮きりに、各共和国がそれぞれに自立を宣言し、最大のロシア共和国までが主権宣言を採択しました。東ドイツでは初の自由選挙が行われましたが、保守派のドイツ連合が勝利して、西ドイツへの編入によるドイツ統合が一挙に加速され、七月一日の通貨統合、十月三日の国家統一が決定されたのです。

アジアでも大きな変化が進みました。六月には「カンボジア和平に関する東京会議」が開催され、国民政府の代表とプノンペン政府の代表が自発的停戦をうたった共同コミュニケに調印しました。これは、戦後はじめて国際紛争に直接関与するわが国の調停で行われた意義深い会議です。また同じ六月、韓国の盧泰愚大統領は、米国サンフランシスコでゴルバチョフ大統領と電撃会談を行い、韓ソ国交の樹立の近いことを窺わせ、これが九月末の両国の国交正常化につながるのです。さらに朝鮮半島では南北の対話が進み、九月に南北首相会談が開催の運びとなりました。

世界は全体として、自由と民主主義を基調とする平和と安定の道をたどりつつあると思われましたが、八月初頭に起こったイラク軍のクウェート侵攻は、世界のひとびとを驚愕させました。国連安保理事会は直ちにイラク軍の即時無条件撤退要求を、続いて経済制裁を決議し、わが国もいち早くこれに同調して、石油輸入の禁止、投融資等の停止、経済協力の凍結等の措置を決めました。しかし、それにもかかわらずイラク軍は南進を続けたので、米国はじめ西側各国は軍隊を派遣して多国籍軍を形成し、アラブ首脳会議もアラブ合同軍の派遣を決定しました。また、ソ連も軍艦を出動させるなど、世界は上げて、イラクのクウェート侵攻に立ち向かったのです。これらに対してイラクはクウェート在住の外国人を人質とする作戦に出ましたが、国連安保理事会はさらに、経済制裁の実効性を確保するため、限定的な武力行使を認める決議を行いました。

わが国にとっての問題は、紛争解決に向けて、どのような具体的な貢献策を打ち出すべきかということでした。海部首相は、予定されていたサウジなど中東地域への訪問を取りやめ、代わりに中山外相を派遣して、各国と意見を交換させることにしました。外相の帰国後、政府は八月末、中東支援策として、各種輸送、資機材の提供、医療団の派遣、資金協力などを決め、このため多国籍軍への十億ドル協力と、周辺諸国と難民支援のための一千万ドル援助を発表しました。九月末には、海部首相が中東支援第二弾として、多国籍軍にさらに十億ドル、周辺諸国への政府開発援助として二十億ドルを決定するとともに、資金面の協力のみならず、人的面の協力を行うために、国連平和協力法を制定することを提唱しました。

海部総裁は政治改革関連法案が廃案となった責任をとり、任期満了に伴う平成三年十月に予定された総裁選挙への立候補を辞退しました。

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