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党のあゆみ

第23代 麻生 太郎

麻生総裁時代

福田首相退陣に伴い総裁選が行われ、石原伸晃元政調会長、小池百合子元防衛相、麻生太郎幹事長、石破茂前防衛相、与謝野馨経済財政担当相の五人が立候補しました。平成二十年九月二十二日、党大会に代わる両院議員総会における総裁選の投開票の結果、麻生氏三百五十一票、与謝野氏六十六票、小池氏四十六票、石原氏三十七票、石破氏二十五票で、麻生氏が第二十三代総裁に選ばれました。
二十四日、首班指名を経て麻生内閣が発足しました。官房長官に河村建夫氏、経産相に二階俊博氏といったベテランに加え、三十四歳の小渕優子氏を少子化担当相にするなど若手も起用しました。閣僚名簿は官房長官が読み上げるのが慣例ですが、麻生首相は自ら記者会見に臨んで閣僚名簿を読み上げ、「各閣僚に何をしてもらうか」についても具体的に説明しました。それは麻生首相の覚悟が垣間見えた一幕でした。
試練は、いきなり訪れました。政権発足直後、アメリカの名門投資銀行であるリーマンブラザースが経営破綻し、いわゆる「リーマン・ショック」と呼ばれる世界的な金融危機に直面したのです。麻生首相は、放置すれば日本にも深刻な影響が及ぶと判断し、まずは景気対策を最優先するとの方針を明確にしました。
十月末、麻生首相は中国・北京で催されたASEM(アジア欧州会合)に出席しました。世界のトップリーダーが集う中、「世界の中の日本」が試される場となりました。この金融危機が収まるのか、拡大するかは、世界第二の経済大国たる日本の対応次第という共通認識ができつつあったからです。経済人としても長いキャリアを積んでいた麻生首相は、この金融危機を「百年に一度の国際的な経済危機」と言明し、「国内の景気対策、内需、国内需要を喚起する必要がある。その意味では、いわゆる『国内的な政局』という政治の話より、昨日、今日各国から伺っているところをみていると、どう考えても『国際的な役割』を優先する必要性の大きさというのは、今回ここに来て改めて感じさせられたところでもある」と述べました。
「景気対策の三段ロケット」と銘打った麻生首相の一連の対応は、こうした危機感を反映したものとなりました。麻生首相は「安心実現のための緊急総合対策」として十一・五兆円の平成二十年度第一次補正予算、「生活対策」として二十七兆円の第二次補正予算、「生活防衛のための緊急対策」として三十七兆円の平成二十一年度予算に加えて、「経済危機対策」として十五兆円の第一次補正予算を打ち出します。政治主導でなされた前例のない大型経済対策で、定額給付金の支給、高速道路料金の値下げ、エコカー減税、家電エコポイントと、ユニークな施策を次々と実現させていきました。
一方、海外滞在歴が長く、英語が堪能で知られる麻生首相は、外相時代に唱えた「自由と繁栄の弧」を軸とする価値観外交を具現化させていきます。「日米同盟の強化と国連の場をはじめとする国際協調、中国、韓国、ロシア等、近隣諸国との関係強化といった従来の日本外交の柱に加えて、自由、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済といった『普遍的価値』を重視」しながら、「北欧諸国から始まって、バルト諸国、中・東欧、中央アジア・コーカサス、中東、インド亜大陸、さらに東南アジアを通って北東アジアにつながる地域において、普遍的価値を基礎とする豊かで安定した地域」を形成していく壮大な構想です。具体的には、これら普遍的価値を共有する国々と協力しながら、「教育、保健といった基礎的生活分野での支援、民主化定着のための支援、インフラ・法制度整備のための支援など政府開発援助(ODA)を活用したものや、貿易・投資といった協力を通じ、共に自由で繁栄した社会を実現」しようとする試みを指します。麻生首相は、就任直後の国連総会における一般討論演説で、早速、これに言及し、世界からの注目を集めました。とりわけ「自由と繁栄の弧」の代表例として挙げられるのがインドとの関係強化でした。麻生首相は十月二十二日、来日したインドのシン首相と首脳会談を行い、日印間の安全保障協力、経済連携、さらにデリーとムンバイの間の産業大動脈構想へ支援、人的交流や学術交流の促進で合意し、「日印戦略的グローバル・パートナーシップの前進に関する共同声明」、「日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言」にそれぞれ署名しました。
隣国である中国、韓国との協力関係促進にも努めました。十二月十三日、福岡県の九州国立博物館において、中国から温家宝首相、韓国から李明博大統領を招き、日中韓首脳会議が開催されました。これまでのような特定の国際会議の機会を捉えて行われてきたものとは違い、初の単独開催となりました。麻生首相は、これを「第一回日中韓サミット」と命名しました。
三国間協力の進展状況と展望、国際金融・経済、地域・国際情勢について幅広く意見交換が行われ、三首脳は、「三国間パートナーシップに関する共同声明」に署名し、「開放性、透明性、相互の信頼、共益及び多様な文化の尊重」の原則の下、未来志向で三国間協力を強化するとの力強いメッセージを発出しました。さらにリーマン・ショックを受け、三国が協力して、これに対応する「国際金融及び経済に関する共同声明」、さらに防災分野に関しても「三国間防災協力に関する共同発表」が発せられました。当然のことながら、日本にとって最重要懸案事項である北朝鮮による拉致問題に関しても麻生首相から言及がありました。これに対し、温首相、李大統領からは「日本の努力を理解し、支持する」との姿勢が示されました。
年が明けて平成二十一年二月二十四日、麻生首相と就任したばかりのオバマ米大統領との初の日米首脳会談がワシントンで行われました。麻生首相はオバマ氏が大統領となってホワイトハウスを訪問する最初の外国首脳でもありました。会談で二人は、日米同盟を一層強化し、これを基軸として二国間、アジア太平洋地域、国際社会が直面する金融危機、不安定な状況が続くアフガニスタンとパキスタン、気候変動やエネルギーといったグローバルな課題に協働で取り組んでいくことを確認しました。中でも、最初に対応すべきは金融危機であり、世界第一、二の経済大国として、世界経済の回復に向けて全力を尽くしていくことで一致しました。
その頃、アフリカ東岸のソマリア沖で、海賊による各国の航行船舶に対する被害への対処が大きな国際問題となっていました。各国は現地に艦船を派遣し船舶護衛を始めました。日本関連船舶は、この海域を通過する年間通航量の一割を占めていましたが、船舶護衛は外国任せとなっていました。
日本の法律では海賊の定義が定められておらず、自衛隊法の海上警備行動では護衛対象は日本関連船舶に限られ、外国船舶の護衛はできず、取り締まり活動は不可能でした。
日本も国際社会の中の責任ある大国として対応を迫られたのです。そこで麻生首相は、平成二十一年一月、「海賊対策プロジェクトチーム」を発足させ、船舶護衛の範囲を日本関連船舶から外国船舶にも広げる海賊対処法の制定に向けた検討を開始しました。衆院議員の任期満了が迫る中、民主党をはじめとする野党は、これを政局の道具に利用し攻勢を強めていきますが、六月十九日、成立に至ります。これにより、正当防衛や緊急避難に限られている武器使用基準も緩和されました。
七月十三日、麻生首相は二十一日に衆院解散を断行する意向を明らかにします。そして解散後の記者会見では「私は、私の信じる自由民主党の先頭に立って、命をかけて戦うことを皆さん方にお誓いを申し上げます」と訴えました。しかし、民主党が訴える「政権交代」という言葉のみが独り歩きし、選挙戦は自民党にとって序盤から非常に苦しいものがありました。麻生首相は「八月を日本を考える一カ月にしてもらいたい」と語り、保守政治家としての矜持を示しました。翌月三十日の投開票の結果、民主党が過半数(二百四十一)を上回り三百八議席を獲得、自民党は下野することとなり、麻生首相は退陣を表明しました。
在任期間は一年弱でしたが、限られた時間と条件の中で、麻生首相は日本の国益を死守するため全力を傾注しました。九月十六日、首相としての最後の記者会見で「私は、日本と日本人の底力に一点の疑問も抱いたことはありません。これまで幾多の困難を乗り越え発展してきた日本人の底力というものを信じております。日本の未来は明るい。未来への希望を申し上げて国民の皆さんへのメッセージとさせていただきたいと存じます」と述べました。その表情は自信と誇りに満ち溢れ、清々しささえ感じられました。

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