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| 4.「公共」とは、お互いを尊重し合うなかまのこと |
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日本国憲法は、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として保障しています(11条)。基本的人権は人類の普遍的価値であり、我が国は永久にこれを尊重することを基本とすべきです。
各人が、「個人として尊重」され(13条)、それぞれが「永久不可侵の基本的人権」を有するということは、同時に、他人も同じ「永久不可侵の基本的人権」を有しているということです。
人間は社会的な存在であり、人間としての尊厳をもっとお互いに大切にすべきです。他人への配慮や思いやり、社会に対する積極的な貢献を果たすことによって、自己の存在、尊厳もまた大事にされるのではないでしょうか。このように、人間の本質である社会性が個人の尊厳を支える器であることを考えると、人間の自然な集まりである家族、共同体、ひいては国際社会も、公共の基本をなすものとしてとらえ直さなければならない時代になっているのです。
各人が他人を思いやり、相互に尊重し合えば、個人の関係からなるネットワークができます。これが「公共」です。
「独りよがり」の人権主張ではなく、他人を尊重する責務からはじまる「公共」の概念を、私たちは大切にしていきたいと考えています。
さて、互いに尊重し合う個人のネットワーク、「公共」の一番身近で小さな形態は、家族です。家族の構成員は相互に尊重し合う責務を負うのですが、通常は、そういうことを意識することはありません。
しかし、児童・老親虐待の問題が深刻化する事態を受けて家族の在り方が問われるなかで、家族間の責務、すなわち児童を養育する責務や老親を扶養する責務を憲法に明記すべきであるという意見があります。
この問題については、国民のみなさんのご意見を十分に聞きながら、様々な角度から党内議論を行い、憲法上どのように位置づけるべきか検討してまいります。
現在の日本のような民主主義国家は、国民全体の支えの上に存在しています。自立し、互いに他を尊重し合う個人のネットワークである「公共」の一番大きな形態は、国家といえるでしょう。「独立の気力のない国民は、国を愛する精神にも浅薄である」(福沢諭吉)と言われています。
国家とは、主権を保持し、国土を守り、国民の生命、身体及び財産を保護する崇高な使命を負っているわけですが、比喩的に言えば、それはひとりひとりの国民の「他者の権利・自由を尊重しなければならない」という「責務」が集まってできたものともいえます。すなわち、「国家」とはどこか遠いところにある抽象的な存在なのではなくて、自分の愛する家族や隣人とかの権利・自由の集合体と考えた方がわかりやすいかもしれません。
最近は、個人主義が正確に理解されず、利己主義的な側面ばかりが強調された結果、自分のことばかり考えて国家や地域社会のことを顧みない風潮がはびこるようになりました。いかに自由があるとはいえ、自らの行動が他人に迷惑をかけることになれば、それは自由とはいえないのです。
国家の構成員としての国民の責務や日本古来の伝統・文化を尊重する責務を憲法に明記すべきではないか、といった点について様々な角度から党内議論を行い、憲法上どのように位置づけるか検討してまいります。
かつて日本人が諸外国から親切で礼儀正しいと言われ尊敬されたのは、道徳教育が行き渡り、「修身、斉家、治国、平天下」(大学)という考え方があったからです。
今後は、「他人への思いやりの心」を育てて行くことが何よりも大切なことだと考えます。
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